大会情報
2013年9月28日(土)、29日(日)の2日間、科学社会学会第2回年次大会が東京大学本郷キャンパスで開催されました。
場所:東京大学本郷キャンパス法文1号館
地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_01_j.html
参加費:
会員の方 2000円
非会員の方 3000円
懇親会費 5000円
場所:東京大学本郷キャンパス法文1号館
地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_01_j.html
参加費:
会員の方 2000円
非会員の方 3000円
懇親会費 5000円
科学社会学会第2回次大会プログラム(確定版)
9月28日(土)
10:00-12:00 セッション1:Terrorism, Nuclear Weapons, and War
13:30-14:10 総会
14:20-15:40 セッション2:国際・安全保障・リスク管理
15:50-17:50 セッション3-1:医療・生活・生命
15:50-17:50 セッション3-2:エネルギー・環境問題(並行セッション)
18:30-20:30 懇親会(於・東京大学山上会館)
9月29日(日)
9:30-11:30 セッション4:治水・保全・生態系
12:45-14:45 セッション5:廃棄物処分の社会的文脈
15:00-17:00 セッション6:稀少・難病・原因不明疾患における医学・社会・当事者
17:10-19:10 セッション7:学術活動への自己言及
19:50- 打ち上げ(予定)
10:00-12:00 セッション1:Terrorism, Nuclear Weapons, and War
- Chair: Chigusa Kita (Kansai University)
- Sociological Analysis of the Relationship between "New Terrorism" and "War on Terror", Ken Kawamura(The University of Tokyo)
- Why Nuclear Weapons Projects Often Stumble?, Jacques Hymans(University of Southern California)
- A Hidden Accident Long Before Fukushima: From the Viewpoint of “Structural Disaster”, Miwao Matsumoto(The University of Tokyo)
13:30-14:10 総会
14:20-15:40 セッション2:国際・安全保障・リスク管理
- 司会:才津芳昭(茨城県立医療大学)
- グローバリゼーションとリスク管理の標準化、長島美織(北海道大学)
- 科学技術と国際政治の相互作用としての「核兵器のない世界」―米国における通常兵器の進歩をめぐる安全保障エリートの言説から、永田 伸吾(金沢大学)
15:50-17:50 セッション3-1:医療・生活・生命
- 司会:三上剛史(追手門学院大学)
- 生命科学のイノベーションについての歴史分析、額賀 淑郎(東京大学)
- 私の「体質」と家族のつながり:体質遺伝子検査に関する一般利用者の理解、竹田恵子(大阪大学)
- 労働者の自死をめぐるリスクと責任、山田 陽子(広島国際学院大学)
- アトピー性皮膚炎の不適切治療をめぐる新聞報道の状況、駒田安紀(京都大学)・赤塚京子(京都大学)・石川真帆(京都大学)
15:50-17:50 セッション3-2:エネルギー・環境問題(並行セッション)
- 司会:綾部広則(早稲田大学)
- 中国原子力発電事業における「核」と「電」の争い、劉 晶(九州大学)
- 日本の新エネルギー開発の社会史的研究――水素エネルギーを中心として、森田満希子(九州大学)
- 再生紙を使っても温暖化対策にならない?―シンプル化された議論空間における批判のあり方―、立石 裕二(関西学院大学)
18:30-20:30 懇親会(於・東京大学山上会館)
9月29日(日)
9:30-11:30 セッション4:治水・保全・生態系
- 司会:石井 敦(東北大学)
- 自然環境保全をめぐるフレーミング間の相互作用―外来魚問題を事例に、藤田研二郎(東京大学/日本学術振興会)
- 八ッ場ダム問題における科学技術コミュニケーション、萩原優騎(生協総合研究所)
- 誰が環境保全を担うのか―長崎県諫早湾を事例として、開田奈穂美(東京大学)
12:45-14:45 セッション5:廃棄物処分の社会的文脈
- 司会:平田光司(総合研究大学院大学)
- 日本の新聞報道によるCCSの社会構築―フレーミングとテクノクラート言説の再生産、朝山慎一郎(東北大学)・石井敦 (東北大学)
- 高レベル放射性廃棄物をめぐるコミュニケーション構造の分析-日本学術会議「回答」と原子力委員会「見解」、定松淳(東京大学)
- 日本の高レベル放射性廃棄物処分政策に見る構造災の契機―社会的意思決定における知の積み重ねと価値判断の議論の欠落をめぐって、寿楽浩太(東京電機大学)
15:00-17:00 セッション6:稀少・難病・原因不明疾患における医学・社会・当事者
- 司会:山中浩司(大阪大学)
- ポストゲノム時代の「難病」対策:「難治性疾患」と「希少疾患」の距離を測る、見上 公一(総合研究大学院大学)
- 希少難病当事者における診断のプロセスと帰結、野島那津子(大阪大学)
- 稀少疾患当事者からみた医療と社会、山中浩司(大阪大学)・加賀俊裕(SORD, 稀少難病患者支援事務局)
17:10-19:10 セッション7:学術活動への自己言及
- 司会:松本三和夫(東京大学)
- 公的な研究費制度の政策転換に向けて、佐藤靖(科学技術振興機構)
- 社会学の方法・引用文化の日米英比較、山本耕平(京都大学)・太郎丸博(京都大学)
- 日本の高等教育における電子書籍アクセシビリティの課題―テキストデータの利用を中心に、松原洋子(立命館大学)
- 学術研究領域の形成過程分析: 「日本の看護学におけるレジリエンス研究」を素材として、諏訪敏幸(大阪大学)
19:50- 打ち上げ(予定)
プログラム(発表要旨確定版)
9月28日(土)
10:00-12:00
セッション1 Terrorism, Nuclear Weapons, and War
Chair: Chigusa Kita (Kansai University)
1 Sociological Analysis of the Relationship between "New Terrorism" and "War on Terror"
Ken Kawamura(The University of Tokyo)
This paper aims to tackle the question of why some terrorism scholars were able to "predict" the emerging threat of the religiously motivated terrorism as "New Terrorism" shortly before the 9/11th attack on the World Trade Center. Terrorism scholars such as Daniel Benjamin and Steve Simon argued in the paper published in Survival that more lethal and dangerous threat of the religious terrorism was increasing. This poses a serious puzzle; because even those scholars themselves admitted that there were no dramatic statistics or powerful evidence before the 9/11 attacks. To answer this question, I focus on the concept of the "religious motivation" in those scholar's arguments, and perform a conceptual analysis. By doing so, I argue that the advocates of the "new terrorism" did not insist the newness of the "new terrorism" based on the empirical data of the lethality of terrorist attacks at the time, but in fact they redefine the conceptual dichotomy of "religious / secular" based on the standard of negotiability, by which the "new terrorists" were characterized as non-negotiable and irrational jihadists. This new concept of "religious motivated terrorists" made possible the policy prescription of "war on terror" of the Bush Doctrine, which justifies the preemptive attack to those new terrorists.
2 "Why Nuclear Weapons Projects Often Stumble?"
Jacques Hymans(University of Southern California)
Despite the global spread of nuclear hardware and knowledge, at least half of the nuclear weapons projects launched since 1970 have definitively failed, and even the successful projects have generally needed far more time than expected. To explain this puzzling slowdown in proliferation, Jacques E. C. Hymans focuses on the relations between politicians and scientific and technical workers in developing countries. By undermining the workers' spirit of professionalism, developing country rulers unintentionally thwart their own nuclear ambitions. This new perspective on nuclear proliferation effectively counters the widespread fears of a coming cascade of new nuclear powers.
3 A Hidden Accident Long Before Fukushima: From the Viewpoint of Structural Disaster”
Miwao Matsumoto(The University of Tokyo)
The restriction of critical information to government insiders in the Fukushima accident reminds us of the state of prewar Japanese wartime mobilization in which all information was controlled under the name of supreme governmental authority. One might consider such a comparison to be merely rhetorical. This paper argues that we could take the comparison more seriously as far as the patterns of behavior of the agents involved are concerned. In particular, the paper attempts to shed fresh light on the structural causes of the Fukushima accident by illuminating the patterns of behavior of the agents involved in the little-known but serious accident involving naval vessels that occurred immediately before World War II with a particular focus on a subtle relationship between success and failure. The paper will then contextualize the similarity and draw its sociological implications for all of us who face the post-Fukushima situation. The conceptual tool that is employed here to that end is the “structural disaster” of the science-technology-society interface.
13:30-14:10
総会
14:20-15:40
セッション2 国際・安全保障・リスク管理
司会:才津芳昭(茨城県立医療大学)
1 グローバリゼーションとリスク管理の標準化
長島美織(北海道大学)
本発表は、グローバリゼーションに伴う国際的なガバナンスの変容をリスク管理という観点から分析し、従来ブラックボックス化されてきた科学的国際機関の役割を科学と政治の関係性において考察することを目的とする。
グローバリゼーションという概念がどのようなものであるかについて議論があるとしても、人間活動が地理的空間的諸関係を超えて新しい相互作用と統合性を生み出していることは広く認められている。経済、政治、環境、メディアといった多層的な社会変動の進む中、国民国家はもはや突出した政治の場ではなく、より技術的で制度的な政治が生まれてきている(Beck 2008)。数々の国際機関は、その一つの具体的な現れともいえるが、これらの政府間国際組織や国際機関が管轄する事柄は多岐にわたりその影響力も強いことから、どのように民主的な決定過程を担保するかという問題が提起されてきた(Held 2010)。しかし、このような問題提起の文脈においても、科学的国際機関が実際どのような政治的役割を果たしているかについては、不問に付されてきた。
本発表ではこのような認識に基づき、放射線防護に関する科学的機関として一連の科学的勧告を行っているICRP(International Commission on Radiological Protection)を事例にとり、科学と政策との関係について検討する。具体的には、
・ ICRPがどのようなリスクをどのように評価しているか
・ 単位や基準といった一見客観的なものにどの程度・どのように政治的・経済的判断が紛れ込むか
・ 科学の進展と勧告の変化の社会的意味合い
・ 不確実性の扱い方
・ 科学的知見と国際的合意
に関して分析を行う。
以上の分析に基づき、科学と政策の境界性が変化しリスク管理の標準化が進んでいること、そしてその功罪について考察し、まとめとする。
2 科学技術と国際政治の相互作用としての「核兵器のない世界」―米国における通常兵器の進歩をめぐる安全保障エリートの言説から
永田 伸吾(金沢大学)
安全保障問題は、科学技術と国際政治の相互作用の影響を最も受ける領域の一つであり、米国ではこの傾向は顕著である。オバマ大統領による一連の「核兵器のない世界」の発言についても、抑止力としての通常兵器体系の進歩の影響が指摘されているように、科学技術と国際政治の相互作用の産物としての側面がある。そして「核兵器のない世界」については、既に米国の歴代安全保障エリートの間でのコンセンサスが形成されていた。
本研究は、米国の安全保障エリートの言説に注目することで、科学技術と国際政治の相互作用の産物としての「核兵器のない世界」にむけてのコンセンサスがどのように形成されたのかについて検討する。米国の安全保障エリートは政府の要職と大学やシンクタンクなど研究機関を往還する傾向があるため政府を離れても一定の影響力を有する。その中でも本研究が注目するのは、オバマの「核兵器のない世界」に最も影響を与えた人物の一人であるウィリアム・ペリーである。ペリーは博士号(数学)を持ち、カーター政権(1977年~1981年)では研究・工学担当国防次官としてITを中心とした革新的技術による通常兵器体系の構築(通称「オフセット戦略」)にリーダーシップを発揮し、90年代以降の米国における「軍事における革命」の礎を築いた。退任後もソ連の核技術者との交流を維持するとともに、クリントン政権(1993年~2001年)では国防長官や北朝鮮担当特別調整官として北朝鮮の核開発問題に対応した経歴をもつ。
本研究では、カーター政権期からのペリーの言説を主な検討対象とする。また、①冷戦期、②ポスト冷戦期、③9・11以降、の3期に時代区分し検討することで、米国を取り巻く安全保障環境の変化が言説に与えた影響にも留意する。
15:50-17:50
セッション3-1 医療・生活・生命科学
司会:三上剛史(追手門学院大学)
1 生命科学のイノベーションについての歴史分析
額賀 淑郎(東京大学)
近年、科学技術社会学では生命科学のイノベーションを分析する研究が増えている。イノベーションは、技術革新と示されることが多いが、科学技術だけでなく社会制度の発展にもつながる歴史プロセスだといえる。多様なイノベーションの特徴を理解するためには、現代社会だけでなく近代社会も視野に入れた歴史アプローチを考察することが重要になる。科学技術社会学に関連する歴史分析の代表例として、科学史家トーマス・クーンのパラダイム論やフランスの科学哲学者ジョージ・カンギレムの生命科学史をあげることができる。一方、これまで科学技術社会学において、生命科学のイノベーションに焦点を当てて、両者の歴史アプローチを比較分析した研究は少ない。
本発表の目的は、科学技術社会学における歴史アプローチを考察するため、クーンとカンギレムの研究を比較し、生命科学のイノベーションの分析フレームを論じることである。クーンは、フレックの社会学研究に基づいて、物理科学の科学者集団を主な分析対象としパラダイム論を提唱したが、生命科学の事例については課題を残している。一方、カンギレムは、バシュラールの科学認識論に基づいて、社会学者コントや生命科学者など研究者個人の思想を研究し生命と社会の関連性を論じたが、イノベーションの分析にはさらなる考察が必要である。本発表では、クーンとカンギレムの分析フレームはともに、科学技術社会学者が生命科学のイノベーションを分析するうえで有効かつ重要な方法だが、分析単位や方法論において相違があることを論じる。
2 私の「体質」と家族のつながり:体質遺伝子検査に関する一般利用者の理解
竹田恵子(大阪大学)
近年、個人の体質を遺伝子解析によって判定する遺伝子検査(以下、体質遺伝子検査)が提供され始めている。これらの遺伝子検査では唾液や頬粘膜、血液などから得られた遺伝情報をもとに脳血管疾患や糖尿病などにかかりやすい体質であるか、肥満しやすい体質であるかなどを調べるほか、ガンの罹患傾向なども扱われるようになってきた。しかし、現在のところ検査の妥当性や信頼性が低いという見方が多く、適切な規制もないままに流通する体質遺伝子検査に否定的な意見が多いのが現状である。そこで本報告では、実際に医療機関を通して、体質遺伝子検査を利用した経験のある一般の人へ実施した聞き取り調査の結果を紹介する。結果:医療機関を通して提供される体質遺伝子検査を利用した経験を持つ協力者9名は、いずれも予防医学全般に肯定的な意識を持っており、体質遺伝子検査を用いた生活習慣病の予防に対しても概ね肯定的であった。また、体質遺伝子検査だけでなく、科学全般に関する興味も高いとの自己認識を持っており、体質遺伝子検査の妥当性に関する医師からの説明を踏まえ、検査を過大に評価することなく予防に生かそうという姿勢にも共通性が見られた。以上から、医療機関を通して提供される体質遺伝子検査の利用を試みたことのある一般人の多くは、体質遺伝子検査に肯定的であると同時に、その限界についても理解していることが示唆される。しかし、体質遺伝子検査の結果を用いて、なんらかの予防行動につなげたか否かという点からみると、協力者は3つのタイプ(積極的活用型、消極的活用型、体質確認型)に分かれた。つまり、医療機関を通して提供される体質遺伝子検査の利用者は、体質遺伝子検査に肯定的である点は一致するが、結果の利用方法には違いがあると言うことになる。本報告では、調査の内容を踏まえ、体質遺伝子検査の利用者の意識からこの検査の普及の行方を考えたい。
3 労働者の自死をめぐるリスクと責任
山田 陽子(広島国際学院大学)
近年、労働者災害補償保険(以下、労災保険という)において、労働者の自死事案の保険請求件数・認定件数が増加している。労災保険は事業主の災害補償責任を保険化したものであり、努力では制御しきれないリスクの現実化、すなわち労働災害に備えるものである。そのため、無過失責任主義を採っており、事業主の過失の有無にかかわらず、当該の傷害や疾病や死亡が業務に起因するものであれば保険が給付される。
従来、労働者の自死は、「故意」もしくは当人の意思が働いた結果の出来事であって偶発的な労働「災害」には該当しないと解釈され、保険給付の対象には含まれてこなかった。労働者の「故意」による死亡について、政府は保険給付を行わないことが明文化されている(労災補償保険法12条)。この場合の「故意」とは、「結果の発生を認識・許容しているだけでなく結果の発生を意図した場合」を指す。
しかしながら、1999年に「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(労働省)が出され、労働者の自死の位置づけに大きな転回が生じた。すなわち、「精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められることから」、「精神障害によって正常の認識、行動選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性が認められる」こととなった。労働者の自死における「故意の欠如の推定」が明確にされ、「業務に起因する精神障害による病死=労働災害による死」という枠組みに合致する自死について保険給付を行うことになっている。
本報告では、労災保険制度における自死の解釈の転回を整理した上で、そのような制度上の自死の解釈の転回が、遺族による自死の解釈や、事業主による自殺リスク対策と責任帰属にいかなる影響を及ぼすのかについて具体的な事例の検証を通して分析する。
4 アトピー性皮膚炎の不適切治療をめぐる新聞報道の状況
駒田安紀(京都大学)・赤塚京子(京都大学)・石川真帆(京都大学)
アトピー性皮膚炎は、かゆみと湿疹を特徴とする慢性疾患であり、しばしば「アトピー」とも称される。この病は、原因が未だ明らかでなく、治療法も確立していない。このような中で、近代医学・民間療法の垣根を越えて非常に多様な治療法が提唱され、それらはアトピービジネスとも呼ばれるようになった。この背景には、標準治療とされているステロイド外用剤による「副作用」が問題視されるようになったこと、アトピー患者の数がそれなりに多いこと、皮膚の病であるがゆえにセルフケアの延長線上で捉えられ、生活と密着した原因が想定されること、などがある。しかし、こうしたさまざまな治療法の中には、医学的には「不適切」と判断されるものがあったり、実際に患者が健康被害に合うなどの事態も発生し、日本皮膚科学会内でアトピー性皮膚炎治療問題委員会が設置された。
本発表では、「不適切治療」と呼ばれるものに関する報道状況に焦点を当て、これまでにどのような治療法がどのような形で報道されてきたのかを明らかにする。不適切治療による問題は事件性を孕んだものもあり、何らかの形で患者サイドに対し情報提供される必要があるが、それはどのように行われているのか。朝日・毎日・読売の各紙において、治療法やその提供者、注意喚起の方法について、検討を行う。
15:50-17:50(3-1と並行セッション)
セッション3-2 エネルギー・環境問題
司会:綾部広則(早稲田大学)
1 中国原子力発電事業における「核」と「電」の争い
劉 晶(九州大学)
中国原子力発電事業の現状について紹介し、その特徴を明らかにし、なぜそうした特徴が形成されたのかを明らかにする。そうした分析を行うに際して最も重要な着眼点は「核」と「電」の争いである。
1、原子力発電所の建設と運営会社からみると、中国原子力市場は主に二つの大手国有会社——中国核工業集団公司、中国広東核電集団公司——によって支配されている。そういう現状は今までどのようにして形成されてきたのか?今後大きな変化が起こる可能性があるか?
2、原子炉から見ると、多数の国の多数の機種の原子炉と、中国国産炉が混在している。異なる国、異なる機種の原子炉を建設、運転することは必ずしも容易ではないが、自主開発という路線からも乖離している。中国はどうして自主開発路線を徹底できなかったのか?「多国炉」になった原因はなんであろうか?
3、原子力発電所の立地から見れば、沿海部のみならず内陸部にも多数の原子力発電所が建設中又は計画中である。福島原発事故の衝撃を受け、中国中央政府は計画中の原発を認可することを一時停止し、2012年中に再開したが、内陸部の原発が除外された。内陸部原発プロジェクトの認可が延期される原因はなんであろうか?
上記の3つの問題を答えるには、中国原子力発電事業における「核」と「電」という二つの集団に着目せねばならない。現在を理解するには歴史を知らねばならない。「核」「電」二大集団は政府、軍需工業と深く関わり、中国原子力発電事業の草創期から争ってきた。両集団の間の争いと中央政府からの干渉が、中国原子力発電事業を現在のような混乱な状況に導いたと考えられる。この発表は「核」「電」両集団をめぐって、中国原子力発電事業の歴史に辿りながら、上記の3つの問題を解答するつもりである。「核」と「電」の争いの視点から、中国原子力発電事業の現状を解読したい。
2 日本の新エネルギー開発の社会史的研究―水素エネルギーを中心として
森田満希子(九州大学)
日本では1973年のオイルショックをきっかけに,「新エネルギー(サンシャイン)」計画が始まった.その中のひとつに「水素エネルギー」の開発がある.水素エネルギーの有効利用や,燃料電池の開発が始まった.しかし30年たった今でも「新エネルギー」の開発は,太陽光(熱)エネルギー以外あまり進んでいない.それは経済産業省とNEDOの産業技術の振興計画であり,「新エネルギー」に莫大な投資を行ったが,成功しなかった例が多い.そこで,この研究の時代区分としては,第1期「新エネルギー」の基礎・応用研究の時代(1973年~1992年),第2期 普及促進に重点を移した時代(1992年~2010年),第3期 再生可能エネルギー躍進の時代(2011年~)とした.
「新エネルギー」計画は,1980年代の石油価格安定で一旦行き詰まりを起こしたが,1992年リオの環境サミットをきっかけに,環境問題を意識した「再生可能なエネルギー」へと世界の方針は変わった.日本では1993年ニューサンシャイン法が成立した.エネルギーと環境問題の両立を図らなければ,新エネルギーの開発は難しい.1993年カナダのバラード・パワーシステムズ社が固体高分子形燃料電池(PEFC)の小型化に成功したため,燃料電池の一般への応用が期待された.しかし燃料電池の心臓部といえるセルに使う白金の量が多く,セル自体が高価になることや,乗用車にすると値段が高いこと(現時点で1台1億5000万円)などから燃料電池の発展は行き詰まりを迎えている.
日本の新エネルギー計画の失敗の原因は次の4点が考えられる.(1)経済産業省(旧通産省)を中心としての供給側のみの研究開発に終始したこと,(2)需要拡大政策を取らなかった政策の不備(補助金,免税,個人投資への配慮が無いなど),(3) 電力会社の送配電網の独占状態,(4) 燃料電池研究・開発の混迷である.この論文はエネルギーの歴史的背景を顧みながら,新エネルギー政策がどのように行われ,どのように進んでいったのかを検証する.
3 再生紙を使っても温暖化対策にならない?―シンプル化された議論空間における批判のあり方―
立石 裕二(関西学院大学)
再生紙が近年もっとも注目を集めたのは、2008年1月に発覚した「古紙偽装」問題である。このとき製紙メーカーは弁解の一つとして、「再生紙を使っても温暖化対策にならない」と主張した。バージンパルプの場合、木にもともと含まれる黒液という成分を燃料として使えるため、化石燃料由来のCO2排出量は少なくて済む。森林を伐採しても再び植林すれば、CO2の観点からは±ゼロである。だから無理に古紙を使う必要はないというわけだ。この主張は一見すると鋭い科学的な切り返しに見えるが、よく考えるとわからない点が出てくる。多様な環境問題の中でなぜ温暖化だけを取り上げているのか。古紙利用率を下げればCO2排出量が減るというのは事実か(環境省は反対の立場をとった)。分析結果に一定の根拠があるとして、それまでの間、再生紙が環境対策として異論なく受け入れられてきたのはなぜか。本報告では、これらの疑問を手がかりとしながら、地球温暖化問題をはじめとする今日の環境問題における議論空間の特徴を明らかにする。温暖化対策をめぐる議論は、双方がライフサイクルアセスメント(LCA)のような科学的推論の結果として出てきた数字を脱文脈的にぶつけ合う「空中戦」になりがちである(本報告では、Scott(1998)の概念を用いて「シンプル化された議論空間」と呼ぶ)。その中で、企業や行政が出してくる数字に対して異議申し立てをする余地をいかにして確保できるのか。本報告では、公開文書とインタビューを用いた知識社会学的分析を行った。分析の結果、温暖化対策をめぐる論議では科学知を使ったシンプル化(指標化)が避けられないこと、そのもとでの外部からの批判の回路としては、1)シンプル化された指標の情報公開・比較の徹底、2)LCAで捨象されがちなローカルな問題文脈の再導入という二つがあることなどを明らかにした。
18:30-20:30
懇親会(於・東京大学山上会館)
9月29日(日)
9:30-11:30
セッション4 治水・保全・生態系
司会:石井敦(東北大学)
1 自然環境保全をめぐるフレーミング間の相互作用―外来魚問題を事例に―
藤田研二郎(東京大学/日本学術振興会)
アクターによる問題のフレーミング(定義づけ)を分析することは,環境問題を対象とした社会科学の様々な領域で,研究アプローチの一つとして提起されている(環境社会学の構築主義,環境運動論,科学技術社会論等).本報告では,このフレーミングについての分析枠組を批判的に検討した上で,フレーミング間の相互作用を動態的に把握するための枠組を提起し,それを自然環境保全のあり方をめぐって争われた外来魚問題の事例研究に適用する.まず,先行研究の中では,フレーミングについて様々な分析がなされている一方で,その多くはフレーミングの類型論に終始してしまっている点に,一つの限界があると考えられる.本研究では,問題のプロセスを分析するにあたって,そのような静態的な類型論ばかりでなく,フレーミング間の動態的な相互作用を把握することを重要視し,アクターそれぞれの“問題とする範囲の線引き”について分析する枠組を提起する.とりわけ,歴史的事実の扱いをめぐる時間的な線引きと,利害関係者の扱いをめぐる空間的な線引きに注目し,そのような線引きの包含関係を比較することで,動態的な相互作用が分析できると想定している.
以上のような検討を踏まえて,外来魚問題を対象とした事例研究を行う.この問題は,生息分布が全国的に広がったオオクチバス等の外来生物について,その放流の禁止,駆除の方針をめぐって争われてきたものである.特に,漁連,市民団体,学会,釣り団体といった,関係するアクターの多様化が生じた1990年代後半以降の問題のプロセスについて,上述の分析枠組の有効性について検討する.その中では,それぞれの相互作用によって生じるフレーミングの変化について考察していく.
[主要参考文献]
佐藤仁,2002,「「問題」を切り取る視点――環境問題とフレーミングの政治学」石弘之編『環境学の技法』東京大学出版会,41-75.
2 八ッ場ダム問題における科学技術コミュニケーション
萩原優騎(生協総合研究所)
利根川水系・吾妻川流域では、八ッ場ダム開発問題をめぐって半世紀以上にわたる対立が続いてきた。その過程で、ダム問題への立場の違いから派閥の対立が生まれ、地域社会の分断につながった。紆余曲折を経てダム建設が決定して以降も、様々な対立が続いている。過疎や高齢化によって地域社会が衰退しつつある現状では、その再生を図ることは、ダムへの賛否にかかわらず地域住民の共通課題である。しかし、ダム問題に由来する対立が背景として存在するゆえに、地域社会を今後どのように運営していくかということについて、住民間の合意形成を図ることが非常に困難な状況にある。
以上のような歴史的背景及び現状に加えて、地域の合意形成を困難にしている要因がいくつかあると思われる。その一つが、ダム問題を中心とする諸課題をめぐる科学技術コミュニケーションが成功してきたとは言いがたいということである。ダム開発やその影響については、「難しいこと」だから決定を町や専門家に委ねるという住民も多い。そして、町や国土交通省の建設事務所から発信される情報や、その発信のされ方にも、地域住民の意思決定への参加を困難にする一因があった。また、ダム開発をめぐる研究者間の論争においても、各々の前提の差異が問題になり得る。それは、河川工学上の知見に限らず、河川管理をめぐる価値や思想の違いでもある。
このように専門家間で、また専門家と地域住民の間で、科学技術コミュニケーションをめぐる解決すべき課題が山積している。そして、それらの課題は必ずしも自覚されないまま、放置されてきたことも多かったというのが実態であろう。今回の発表では、そうした事柄の一端を紹介し、科学技術社会論の観点から当該地域が抱える問題の解決に寄与する可能性を示したい。
3 誰が環境保全を担うのか―長崎県諫早湾を事例として
開田奈穂美(東京大学)
本研究発表においては、長崎県諫早湾およびその周辺の有明海を事例として、海洋・河川および漁業環境の保全をめぐる地域の対立の様相を明らかにする。長崎県諫早湾においては、諫早湾干拓事業が周辺海域に与える影響が指摘されてきた。この事業については、周辺の漁業者を原告とした「よみがえれ!有明訴訟」の判決により、2013年中に排水門の常時開門が確定している。この常時開門によって予想される周辺海域の環境変化をめぐり、地元長崎県では否定的・肯定的な意見を含め様々な議論がなされている。本研究発表においては、関係する漁業者、行政関係者、科学者へのインタビュー等をもとにして、当該地域の漁場環境の「保全」が各アクターにとってどのようなことを意味するのかを分析するとともに、誰が環境保全を担うのか、あるいは誰が環境保全を担うことを認められるのかという問題について考察する。
12:45-14:45
セッション5 廃棄物処分の社会的文脈
司会:平田光司(総合研究大学院大学)
1 日本の新聞報道によるCCSの社会構築―フレーミングとテクノクラート言説の再生産
朝山慎一郎(東北大学)・石井敦 (東北大学)
近年,気候変動の緩和策として炭素回収貯留(CCS)技術が注目されている。CCSは,火力発電所などの大規模なCO2排出源からCO2を分離・回収し,地中あるいは海底下に貯留する技術である。2005年に発表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)のCCS特別報告書によって,CCSは緩和策の有力な選択肢として位置づけられるようになった。日本では1980年代末から官民協働で技術開発が積極的に推進されており,京都議定書締結以降は具体的な緩和策の1つとして政策協議されるようになってきた。しかし,CCSをめぐっては,CCSの有する大規模なCO2貯留ポテンシャルが注目される一方で,貯留サイトからのCO2の漏洩リスクやCCS実施に伴う化石燃料への依存度増大などの問題で論争がある。いまだ開発途上の技術であるCCSの公衆理解やガバナンス・政策決定のあり方は,緩和策としてCCSをどのように「フレーミング(Framing)」するのかに大きく依存する。本稿は,日本のマスメディア報道を事例に、CCSのフレーミングを言説分析の手法を用いて分析した。1990年~2010年の間の三大紙(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞)によるCCS報道のフレーミングを時系列変化と新聞間比較の2つの分析軸に沿って分析した。三大紙の報道では,三大紙に共通する支配的なフレームとして,<責任と有望性><テクノクラシー><化石燃料レジームとの両立>の3つが顕著に観察された。通時的には,三大紙の報道はこれらの支配的なフレームの強化を促すように変化していた。三大紙の報道では,CO2の貯留ポテンシャルや化石燃料に依拠した経済成長との整合性が強調され,官僚や経済界,研究機関が頻繁に引用されていた一方で,CO2の漏洩リスクや規制措置についてはほとんど言及されず,環境NGOや市民などのアクターもほとんど引用されていなかった。その意味で,日本の新聞報道は,テクノクラート主義的な日本のCCSガバナンスを補完する形で,CCSをフレーミングしていると指摘できる。
2 高レベル放射性廃棄物をめぐるコミュニケーション構造の分析-日本学術会議「回答」と原子力委員会「見解」
定松 淳(東京大学)
日本政府はこれまで、国内の原子力発電所から出る使用済核燃料を全量再処理(ウランとプルトニウムを回収)すること、またその結果に発生する「高レベル放射性廃棄物」を300m以深の地下に地層処分することを方針としてきた。2000年に「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が制定され「原子力発電環境整備機構」が設立されたものの、候補地選定に向けた調査実施地域も決まっていない状況である。このような状況を受けて、原子力委員会は2010年9月7日、日本学術会議に対して「高レベル放射性廃棄物の処分の取組における国民に対する説明や情報提供のあり方についての提言のとりまとめ」を依頼した。2011年の東日本大震災とその後の福島第一原発事故をへた2012年9月11日、日本学術会議の「回答」が発出された。「回答」は、「高レベル放射性廃棄物の処分に関する政策の抜本的見直し」を求め、「暫定保管および総量管理を柱とした政策枠組みの再構築」を提案するなど、大胆な内容であった。この回答の作成には国内の複数の社会学者も関与している。原子力委員会は同年12月18日、この回答に対する「見解」を発表したが、その内容についてマスメディアでは「従来の方針は変えず」といった報道も多く見られた。このような意見の対立・食い違いは、科学技術がかかわる社会問題において典型的なものである。この対立・食い違いを整理することで、科学技術がかかわる社会問題に社会科学がアプローチする際の、留意点を明確化することが本発表の目的である。そのうえで、できる限り具体的な改善策の提案を試みたい。
3 日本の高レベル放射性廃棄物処分政策に見る構造災の契機―社会的意思決定における知の積み重ねと価値判断の議論の欠落をめぐって
寿楽 浩太(東京電機大学)
日本における高レベル放射性廃棄物(HLW)の処分問題は2000年の最終処分法制定とNUMO(原子力発電環境整備機構)の設立、2002年のNUMOによる文献調査への公募開始以降、約10年強が経過した。HLW処分に関係してこの間に発生した目立った出来事と言えば、2006年から2007年にかけての高知県東洋町での公募への応募に向けた地域紛争状況の出現、そしてその他の複数の地方自治体における応募をめぐる葛藤であって、関係した地域社会に負担を強いたばかりであり、政策推進側が期待した「進展」は得られていない。
一方、2011年3月の福島原発事故をきっかけに原子力利用をめぐる社会的な論議が活発になった中、日本学術会議による問題提起と提言(日本学術会議2012)の発出もあって、HLW処分問題には改めて社会的な関心が集まっており、政府も先般、「総合資源エネルギー調査会」にこの問題を検討する小委員会を設置したところである。
この最近の状況を見ると、一見、従来の政策の失敗軌道が修正されつつあるようにも見受けられるかもしれない。しかし、本発表では、こうした経緯を「構造災」(松本2012)の発生の有無という観点から再検証し、むしろ構造災が再生産されている可能性が見いだされることを指摘する。具体的には、この経緯の中で、(1)必要な知が積み重ねないままに社会的意思決定が進められてきた可能性があり、これを防ぐ仕組みも作り込まれていない可能性が高いこと、(2)HLW処分問題は「無限責任」(松本2009)を有限化することが必要である点が際だっており、腑に落ちる社会的意思決定を行うためには、問題への対処の原則に関わる価値判断の議論が必要であるところ(寿楽2011)、それを十分意識して政策形成をしてきた形跡に乏しいこと、の2つの問題点を議論したい。
<参考文献>
日本学術会議(2012)「回答 高レベル放射性廃棄物の処分について(2012年9月)」
松本三和夫(2012)『構造災―科学技術社会に潜む危機』岩波新書
松本三和夫(2009)『テクノサイエンス・リスクと社会学―科学社会学の新たな展開』東京大学出版会
寿楽浩太(2011)「エネルギー施設立地の社会的意思決定プロセスを問う―公共性をめぐる科学技術社会学からのアプローチ」東京大学大学院学際情報学府博士学位論文
15:00-17:00
セッション6 稀少・難病・原因不明疾患における医学・社会・当事者
司会:山中浩司(大阪大学)
1 ポストゲノム時代の「難病」対策:「難治性疾患」と「希少疾患」の距離を測る
見上 公一(総合研究大学院大学)
日本における難病対策は昭和47年に厚生省が定めた『難病対策要綱』から始まったとされる。この要綱は原因不明の疾患として昭和30年代後半から社会的問題とされたスモンに対して研究班の設置と患者への支援を実施した経緯から策定に至っており、8疾患からスタートした研究事業はその後40年間で対象が大幅に拡大され、現在は130疾患が対象とされている。要綱では研究事業の対象となる疾患は原因不明であることと患者とその家族の負担が大きいことが主な条件とされていたが、1990年代後半からはその希少性についても考慮することとなり、現在の「難治性疾患」として再定義されたのは平成15年のことであった。だが、このような「難病」対策の流れは欧米において実施されている「希少疾患」のそれとは大きく異なるものである。「希少疾患」はその希少性から市場が小さく有効性の確認も難しいなどの理由から医薬品の開発に対して特別な対策を講じる必要があるという1980年代の議論がその根底にあり、患者団体の積極的な活動と連動することによってその概念が作り上げられてきたという経緯があり、その数は7000疾患を越えるとされている。このような2つの「難病」の理解は、概念として違いを生むだけではなく、そのような疾患を患う人々の生活にも大きな影響を与えていることは想像に難くない。本発表は、そのような歴史的な経緯を踏まえ、この2つの「難病」の距離について考察を加える。ゲノム科学の進展や難病に対する国際的試みが推進されている現状などによって、国内ではその擦り合わせについて議論が始まっているが、科学社会学の観点から分類の持つ政治性・社会性に注目しそのような課題の複雑さを紐解くことが目的である。
2 希少難病当事者における診断のプロセスと帰結
野島那津子(大阪大学)
1995年にブラウンが提唱した「診断の社会学」は、その後20年以上を経てジュテルによって再評価され(Jutel 2009; 2011)、専門誌で特集が組まれるなど近年注目を集めている。診断は、医療の中心的実践であるが、心身の不調に対して病名をつけるだけの素朴な営みではない。たとえば、症状に説明と一貫性を与え、患者に病人役割を取得する正統性を付与し、必要な資源や設備にアクセスする機会を提供し、医療の権威を形成・維持するなど、診断の持つ力は大きくその射程は広い。なかでも、その影響を直接かつ多大に受けるのが、患いの当事者である。なぜなら一般的に、心身の苦しみが公的に認められ、取り除かれる可能性を得るには、まずもって医師に診断されることが必要だからである。しかしながら、希少難病のような診断の難しい疾患を患う場合、当事者の訴えは棄却され、診断のつかない状態が長期化したり、不適切な診断名を付与されたりしかねない。この場合、当事者は症状だけでなく、適切に診断されないことにも苦しむことになる。本報告では、このような診断が難しい事態について、適切な診断が付与されるまでのプロセス、診断がもたらす帰結を中心に、診断の社会学の知見を用いて説明を試みる。診断の社会学では、体系的な議論は構築されていないものの、診断が難しい疾患について多くの事例から、診断の不在と疾患の社会的不在がパラレルであること、精神疾患の否定、適切な診断の好意的受容などの論点を指摘できる。これらの論点を整理・検討し、診断されにくい疾患を患う当事者の視点から、診断の持つ影響力や意味を照射したい。
3 稀少疾患当事者からみた医療と社会
山中浩司(大阪大学)・加賀俊裕(SORD, 稀少難病患者支援事務局)
2012年4月から大阪大学とSORD(NPO法人稀少難病患者支援事務局)は共同で稀少難病疾患当事者に対する聞き取り調査を行っています。この調査は、当事者の生活状況や抱える困難、また当事者からみた現在の医療、行政、社会(学校、職場、地域など)について幅広く意見や情報を収集するもので、これまで13名(2013年6月現在)の聞き取りを終え、今回は学会報告日までの暫定的なデータの分析を踏まえて、日本におけるこうした疾患を抱える当事者の現状について報告をしたいと考える。報告は特に、医療機関との関係、疾患に対する社会的受容(学校、職場など)、行政との関係、当事者同士の関係を主軸として、適宜こうした情報を欧米の状況、一般疾患との相違などを考慮して考察したい。その上で、患者役割の取得、医療化、医師患者関係など医療社会学における古典的な枠組みにおいてどのように位置づけることが可能か、また近年の医学研究者、国、製薬業界が稀少疾患に対して示す強い関心が、こうした問題にどのような影響を及ぼすのかを考えたい。これについては、患者支援団体事務局から、現在のそうした動きについて報告を行う。
17:10-19:10
セッション7 学術活動への自己言及
司会:松本三和夫(東京大学)
1 公的な研究費制度の政策転換に向けて
佐藤靖(科学技術振興機構)
近年、日本の公的な研究費制度は、投資総額の停滞、基盤的経費の削減、競争的資金の拡充等により、大きな構造的変化を経験してきた。また、特定の研究分野・領域への投資の充実、大型研究費制度の創設等により、国内の大学・公的研究機関等の研究開発資金の獲得戦略も大きく変化し、その経営及び研究現場もさまざまな影響を受けてきた。
こうした変化は、競争的環境の形成に貢献し、世界的な研究成果の創出事例をも生み出したが、その一方、有力大学等への競争的資金の偏り、若手研究者のキャリアパスの不安定化、研究時間の減少等の問題点をもたらしているといった指摘もある。また、競争的資金の費用対効果は十分か、我が国全体としての科学技術の裾野・多様性は維持されているか、審査・評価は適切になされているか、といった問題意識も提示されてきた。
最近では、研究費制度の改革をめぐる提言等も各方面から出され、政府レベルでも抜本的改革が重要な課題として浮上している。また、文部科学省科学技術政策研究所が科研費の有効性に対する定量的な検討を行う等の動きもある。こうした動きの背景としては、世界における日本の科学研究のパフォーマンスが顕著な停滞傾向を示していることに対する危機感がある。
本報告では、最近実施した大規模アンケートの結果等も踏まえつつ、今後求められる改革の方向性について、その実現に向けたハードル及び実現可能性の見通しも含め論じる。その際、政府の視点と研究現場の視点の双方を重視しその間の調整を図ることの重要性を強調する。
2 社会学の方法・引用文化の日米英比較
山本耕平(京都大学)・太郎丸博(京都大学)
本報告では、日本・アメリカ・イギリスの社会学の相違を、定量的な比較を通して検討する。他の分野に比べて、社会学の国際的な統合の度合いは低いと考えられている。しかし具体的にどのような相違があるのかについて、体系的な比較はまだない。本報告では、歴史研究や計量といった方法の相違と、専門家向けのメディアと一般向けのメディアのどちらをより多く参照するか(これを引用文化とよぶ)の相違に注目する。これらは、合意形成志向、すなわち専門家を説得し、専門家間で合意できる知識を作り出すことを志向する態度の、各国間での相違を反映するものと考えられる。仮説として、合意形成志向はアメリカにおいてもっとも強く、イギリス、日本の順に弱くなると考える。合意形成志向が強いほど、経験的研究の割合が高く、雑誌論文や学会発表への参照が多く、共同研究が発展しやすいと考えられる。そこで、日米英の主要なジャーナル各2誌について、2012年に掲載された論文およびそれらに類する記事をすべてサンプリングした。そして、それらの記事で用いられている方法を4つに、文献リストに挙げられている文献を4種類に分類し、著者数を数えた。このデータから、引用文献数と、引用文献中の雑誌論文および一般書籍の割合を比較した。そして、方法の種類、引用文献数、引用文献中の雑誌論文の割合、著者数をそれぞれ従属変数とし、他の変数を説明変数とする重回帰分析をおこなった。分析の結果、第一に、方法についてはアメリカが経験的研究、とくに計量への志向が強いことが分かった。第二に、引用文献の数および引用文献中の雑誌論文の割合は、ともに米英日の順で高いことが分かった。第三に、共著論文は米英では多いが日本では少ないことが分かった。以上から、イギリスの位置づけは明確ではないが、合意形成志向はアメリカの社会学でもっとも強く、日本でもっとも弱い、という相違は確認できる。
3 日本の高等教育における電子書籍アクセシビリティの課題―テキストデータの利用を中心に
松原洋子(立命館大学)
視覚障害や肢体不自由などの理由により、紙の本による読書が困難な人々(people with print disability)にとって、電子書籍は読書の可能性を高める技術である。本研究では高等教育機関に学ぶ障害学生の読書支援において、電子書籍を活用するための技術的・制度的課題を図書館の蔵書利用を中心に検討する。2013年6月の障害者差別解消法成立を受けて、高等教育機関の図書館は、障害学生の読書機会を保障するための「合理的配慮」が求められることになる。紙の書籍の文字情報をテキストデータ化することによって、合成音声変換、自動点訳、文字の加工が可能になり、アクセシビリティが向上する。すでに2010年の著作権法改正により、大学図書館でも視覚障害等をもつ学生に著作権者の許諾なく所蔵資料の電子複製・自動公衆送信をすることが可能になっているが、この種の支援はごく一部の大学にとどまり普及していない。本報告では読書支援としての書籍テキストデータ利用について、まず出版社や大学におけるこれまでの対応を概観する。そして2010年の著作権法改正と37条の運用、合成音声変換に対する同一性保持権からの疑義、視覚障害者による未校正テキストデータの利便性の主張、データ流出防止への技術的・制度的対応に関する論争等を検討し、大学図書館における書籍テキストデータ利用の意義と課題を明らかにする。
4 学術研究領域の形成過程分析: 「日本の看護学におけるレジリエンス研究」を素材として
諏訪敏幸(大阪大学)
研究活動が「学術」活動であるための条件は、既存の学術研究の伝統によってその主題と方法の正当性が認められることである。一般に文献引用のネットワークは論文(研究)間の「影響」関係の表現と解釈され、集合間の関係に注目する。しかしここではこれを研究伝統による正当性承認の主張と解釈し、一研究領域の自らへの関係性として文献引用を分析することにより、学術領域の生成・発展を捉え得ると考える。
本研究では方法論的検討も兼ねたケーススタディとして、「看護学分野におけるレジリエンス研究」を対象に、主に日本国内での発展を追跡した。「レジリエンス」は精神的困難から自ら回復する力とその過程を指し、1980年代に心理学分野で生まれた概念である。その後看護学でも患者・児童・患者家族・看護師などをめぐるレジリエンス研究が現れるようになった。領域選択の主な理由は、1) 比較的近年に現れたコンパクトな研究領域であること、2) 他領域や国外など外部領域からの流入経路が明確でありその後の発展においても過度に錯綜していないこと、3) 書誌データベースが整備され全容が把握し易いこと、4) 医学・看護分野は論文が構造化され分析しやすいこと、である。
この目的に沿って医学中央雑誌を検索した結果得られた文献604件から、予め定めた基準により71件を一次的対象として採択し、これに採択基準外・医中誌採録外の被引用文献396件中286件を加えてネットワーク的・量的・文献的に分析した。
通常、輸入概念を核とする研究領域では、解説・総説が先行し、その後に原著論文の増加へと進むことが多い。しかしこの領域の場合、2010年以降の急激な原著論文増加に対し2009年の解説特集が先行するものの、1990年代末以降ごく少数ながら連綿と原著論文が発表され、全体としては原著先行の様相を呈している。ここには心理学―保健学経由での流入経路が想定される。こうした特性も考慮しつつ、この領域が形成される過程を示したい。
19:50― 打ち上げ(参加自由・予定
10:00-12:00
セッション1 Terrorism, Nuclear Weapons, and War
Chair: Chigusa Kita (Kansai University)
1 Sociological Analysis of the Relationship between "New Terrorism" and "War on Terror"
Ken Kawamura(The University of Tokyo)
This paper aims to tackle the question of why some terrorism scholars were able to "predict" the emerging threat of the religiously motivated terrorism as "New Terrorism" shortly before the 9/11th attack on the World Trade Center. Terrorism scholars such as Daniel Benjamin and Steve Simon argued in the paper published in Survival that more lethal and dangerous threat of the religious terrorism was increasing. This poses a serious puzzle; because even those scholars themselves admitted that there were no dramatic statistics or powerful evidence before the 9/11 attacks. To answer this question, I focus on the concept of the "religious motivation" in those scholar's arguments, and perform a conceptual analysis. By doing so, I argue that the advocates of the "new terrorism" did not insist the newness of the "new terrorism" based on the empirical data of the lethality of terrorist attacks at the time, but in fact they redefine the conceptual dichotomy of "religious / secular" based on the standard of negotiability, by which the "new terrorists" were characterized as non-negotiable and irrational jihadists. This new concept of "religious motivated terrorists" made possible the policy prescription of "war on terror" of the Bush Doctrine, which justifies the preemptive attack to those new terrorists.
2 "Why Nuclear Weapons Projects Often Stumble?"
Jacques Hymans(University of Southern California)
Despite the global spread of nuclear hardware and knowledge, at least half of the nuclear weapons projects launched since 1970 have definitively failed, and even the successful projects have generally needed far more time than expected. To explain this puzzling slowdown in proliferation, Jacques E. C. Hymans focuses on the relations between politicians and scientific and technical workers in developing countries. By undermining the workers' spirit of professionalism, developing country rulers unintentionally thwart their own nuclear ambitions. This new perspective on nuclear proliferation effectively counters the widespread fears of a coming cascade of new nuclear powers.
3 A Hidden Accident Long Before Fukushima: From the Viewpoint of Structural Disaster”
Miwao Matsumoto(The University of Tokyo)
The restriction of critical information to government insiders in the Fukushima accident reminds us of the state of prewar Japanese wartime mobilization in which all information was controlled under the name of supreme governmental authority. One might consider such a comparison to be merely rhetorical. This paper argues that we could take the comparison more seriously as far as the patterns of behavior of the agents involved are concerned. In particular, the paper attempts to shed fresh light on the structural causes of the Fukushima accident by illuminating the patterns of behavior of the agents involved in the little-known but serious accident involving naval vessels that occurred immediately before World War II with a particular focus on a subtle relationship between success and failure. The paper will then contextualize the similarity and draw its sociological implications for all of us who face the post-Fukushima situation. The conceptual tool that is employed here to that end is the “structural disaster” of the science-technology-society interface.
13:30-14:10
総会
14:20-15:40
セッション2 国際・安全保障・リスク管理
司会:才津芳昭(茨城県立医療大学)
1 グローバリゼーションとリスク管理の標準化
長島美織(北海道大学)
本発表は、グローバリゼーションに伴う国際的なガバナンスの変容をリスク管理という観点から分析し、従来ブラックボックス化されてきた科学的国際機関の役割を科学と政治の関係性において考察することを目的とする。
グローバリゼーションという概念がどのようなものであるかについて議論があるとしても、人間活動が地理的空間的諸関係を超えて新しい相互作用と統合性を生み出していることは広く認められている。経済、政治、環境、メディアといった多層的な社会変動の進む中、国民国家はもはや突出した政治の場ではなく、より技術的で制度的な政治が生まれてきている(Beck 2008)。数々の国際機関は、その一つの具体的な現れともいえるが、これらの政府間国際組織や国際機関が管轄する事柄は多岐にわたりその影響力も強いことから、どのように民主的な決定過程を担保するかという問題が提起されてきた(Held 2010)。しかし、このような問題提起の文脈においても、科学的国際機関が実際どのような政治的役割を果たしているかについては、不問に付されてきた。
本発表ではこのような認識に基づき、放射線防護に関する科学的機関として一連の科学的勧告を行っているICRP(International Commission on Radiological Protection)を事例にとり、科学と政策との関係について検討する。具体的には、
・ ICRPがどのようなリスクをどのように評価しているか
・ 単位や基準といった一見客観的なものにどの程度・どのように政治的・経済的判断が紛れ込むか
・ 科学の進展と勧告の変化の社会的意味合い
・ 不確実性の扱い方
・ 科学的知見と国際的合意
に関して分析を行う。
以上の分析に基づき、科学と政策の境界性が変化しリスク管理の標準化が進んでいること、そしてその功罪について考察し、まとめとする。
2 科学技術と国際政治の相互作用としての「核兵器のない世界」―米国における通常兵器の進歩をめぐる安全保障エリートの言説から
永田 伸吾(金沢大学)
安全保障問題は、科学技術と国際政治の相互作用の影響を最も受ける領域の一つであり、米国ではこの傾向は顕著である。オバマ大統領による一連の「核兵器のない世界」の発言についても、抑止力としての通常兵器体系の進歩の影響が指摘されているように、科学技術と国際政治の相互作用の産物としての側面がある。そして「核兵器のない世界」については、既に米国の歴代安全保障エリートの間でのコンセンサスが形成されていた。
本研究は、米国の安全保障エリートの言説に注目することで、科学技術と国際政治の相互作用の産物としての「核兵器のない世界」にむけてのコンセンサスがどのように形成されたのかについて検討する。米国の安全保障エリートは政府の要職と大学やシンクタンクなど研究機関を往還する傾向があるため政府を離れても一定の影響力を有する。その中でも本研究が注目するのは、オバマの「核兵器のない世界」に最も影響を与えた人物の一人であるウィリアム・ペリーである。ペリーは博士号(数学)を持ち、カーター政権(1977年~1981年)では研究・工学担当国防次官としてITを中心とした革新的技術による通常兵器体系の構築(通称「オフセット戦略」)にリーダーシップを発揮し、90年代以降の米国における「軍事における革命」の礎を築いた。退任後もソ連の核技術者との交流を維持するとともに、クリントン政権(1993年~2001年)では国防長官や北朝鮮担当特別調整官として北朝鮮の核開発問題に対応した経歴をもつ。
本研究では、カーター政権期からのペリーの言説を主な検討対象とする。また、①冷戦期、②ポスト冷戦期、③9・11以降、の3期に時代区分し検討することで、米国を取り巻く安全保障環境の変化が言説に与えた影響にも留意する。
15:50-17:50
セッション3-1 医療・生活・生命科学
司会:三上剛史(追手門学院大学)
1 生命科学のイノベーションについての歴史分析
額賀 淑郎(東京大学)
近年、科学技術社会学では生命科学のイノベーションを分析する研究が増えている。イノベーションは、技術革新と示されることが多いが、科学技術だけでなく社会制度の発展にもつながる歴史プロセスだといえる。多様なイノベーションの特徴を理解するためには、現代社会だけでなく近代社会も視野に入れた歴史アプローチを考察することが重要になる。科学技術社会学に関連する歴史分析の代表例として、科学史家トーマス・クーンのパラダイム論やフランスの科学哲学者ジョージ・カンギレムの生命科学史をあげることができる。一方、これまで科学技術社会学において、生命科学のイノベーションに焦点を当てて、両者の歴史アプローチを比較分析した研究は少ない。
本発表の目的は、科学技術社会学における歴史アプローチを考察するため、クーンとカンギレムの研究を比較し、生命科学のイノベーションの分析フレームを論じることである。クーンは、フレックの社会学研究に基づいて、物理科学の科学者集団を主な分析対象としパラダイム論を提唱したが、生命科学の事例については課題を残している。一方、カンギレムは、バシュラールの科学認識論に基づいて、社会学者コントや生命科学者など研究者個人の思想を研究し生命と社会の関連性を論じたが、イノベーションの分析にはさらなる考察が必要である。本発表では、クーンとカンギレムの分析フレームはともに、科学技術社会学者が生命科学のイノベーションを分析するうえで有効かつ重要な方法だが、分析単位や方法論において相違があることを論じる。
2 私の「体質」と家族のつながり:体質遺伝子検査に関する一般利用者の理解
竹田恵子(大阪大学)
近年、個人の体質を遺伝子解析によって判定する遺伝子検査(以下、体質遺伝子検査)が提供され始めている。これらの遺伝子検査では唾液や頬粘膜、血液などから得られた遺伝情報をもとに脳血管疾患や糖尿病などにかかりやすい体質であるか、肥満しやすい体質であるかなどを調べるほか、ガンの罹患傾向なども扱われるようになってきた。しかし、現在のところ検査の妥当性や信頼性が低いという見方が多く、適切な規制もないままに流通する体質遺伝子検査に否定的な意見が多いのが現状である。そこで本報告では、実際に医療機関を通して、体質遺伝子検査を利用した経験のある一般の人へ実施した聞き取り調査の結果を紹介する。結果:医療機関を通して提供される体質遺伝子検査を利用した経験を持つ協力者9名は、いずれも予防医学全般に肯定的な意識を持っており、体質遺伝子検査を用いた生活習慣病の予防に対しても概ね肯定的であった。また、体質遺伝子検査だけでなく、科学全般に関する興味も高いとの自己認識を持っており、体質遺伝子検査の妥当性に関する医師からの説明を踏まえ、検査を過大に評価することなく予防に生かそうという姿勢にも共通性が見られた。以上から、医療機関を通して提供される体質遺伝子検査の利用を試みたことのある一般人の多くは、体質遺伝子検査に肯定的であると同時に、その限界についても理解していることが示唆される。しかし、体質遺伝子検査の結果を用いて、なんらかの予防行動につなげたか否かという点からみると、協力者は3つのタイプ(積極的活用型、消極的活用型、体質確認型)に分かれた。つまり、医療機関を通して提供される体質遺伝子検査の利用者は、体質遺伝子検査に肯定的である点は一致するが、結果の利用方法には違いがあると言うことになる。本報告では、調査の内容を踏まえ、体質遺伝子検査の利用者の意識からこの検査の普及の行方を考えたい。
3 労働者の自死をめぐるリスクと責任
山田 陽子(広島国際学院大学)
近年、労働者災害補償保険(以下、労災保険という)において、労働者の自死事案の保険請求件数・認定件数が増加している。労災保険は事業主の災害補償責任を保険化したものであり、努力では制御しきれないリスクの現実化、すなわち労働災害に備えるものである。そのため、無過失責任主義を採っており、事業主の過失の有無にかかわらず、当該の傷害や疾病や死亡が業務に起因するものであれば保険が給付される。
従来、労働者の自死は、「故意」もしくは当人の意思が働いた結果の出来事であって偶発的な労働「災害」には該当しないと解釈され、保険給付の対象には含まれてこなかった。労働者の「故意」による死亡について、政府は保険給付を行わないことが明文化されている(労災補償保険法12条)。この場合の「故意」とは、「結果の発生を認識・許容しているだけでなく結果の発生を意図した場合」を指す。
しかしながら、1999年に「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(労働省)が出され、労働者の自死の位置づけに大きな転回が生じた。すなわち、「精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められることから」、「精神障害によって正常の認識、行動選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性が認められる」こととなった。労働者の自死における「故意の欠如の推定」が明確にされ、「業務に起因する精神障害による病死=労働災害による死」という枠組みに合致する自死について保険給付を行うことになっている。
本報告では、労災保険制度における自死の解釈の転回を整理した上で、そのような制度上の自死の解釈の転回が、遺族による自死の解釈や、事業主による自殺リスク対策と責任帰属にいかなる影響を及ぼすのかについて具体的な事例の検証を通して分析する。
4 アトピー性皮膚炎の不適切治療をめぐる新聞報道の状況
駒田安紀(京都大学)・赤塚京子(京都大学)・石川真帆(京都大学)
アトピー性皮膚炎は、かゆみと湿疹を特徴とする慢性疾患であり、しばしば「アトピー」とも称される。この病は、原因が未だ明らかでなく、治療法も確立していない。このような中で、近代医学・民間療法の垣根を越えて非常に多様な治療法が提唱され、それらはアトピービジネスとも呼ばれるようになった。この背景には、標準治療とされているステロイド外用剤による「副作用」が問題視されるようになったこと、アトピー患者の数がそれなりに多いこと、皮膚の病であるがゆえにセルフケアの延長線上で捉えられ、生活と密着した原因が想定されること、などがある。しかし、こうしたさまざまな治療法の中には、医学的には「不適切」と判断されるものがあったり、実際に患者が健康被害に合うなどの事態も発生し、日本皮膚科学会内でアトピー性皮膚炎治療問題委員会が設置された。
本発表では、「不適切治療」と呼ばれるものに関する報道状況に焦点を当て、これまでにどのような治療法がどのような形で報道されてきたのかを明らかにする。不適切治療による問題は事件性を孕んだものもあり、何らかの形で患者サイドに対し情報提供される必要があるが、それはどのように行われているのか。朝日・毎日・読売の各紙において、治療法やその提供者、注意喚起の方法について、検討を行う。
15:50-17:50(3-1と並行セッション)
セッション3-2 エネルギー・環境問題
司会:綾部広則(早稲田大学)
1 中国原子力発電事業における「核」と「電」の争い
劉 晶(九州大学)
中国原子力発電事業の現状について紹介し、その特徴を明らかにし、なぜそうした特徴が形成されたのかを明らかにする。そうした分析を行うに際して最も重要な着眼点は「核」と「電」の争いである。
1、原子力発電所の建設と運営会社からみると、中国原子力市場は主に二つの大手国有会社——中国核工業集団公司、中国広東核電集団公司——によって支配されている。そういう現状は今までどのようにして形成されてきたのか?今後大きな変化が起こる可能性があるか?
2、原子炉から見ると、多数の国の多数の機種の原子炉と、中国国産炉が混在している。異なる国、異なる機種の原子炉を建設、運転することは必ずしも容易ではないが、自主開発という路線からも乖離している。中国はどうして自主開発路線を徹底できなかったのか?「多国炉」になった原因はなんであろうか?
3、原子力発電所の立地から見れば、沿海部のみならず内陸部にも多数の原子力発電所が建設中又は計画中である。福島原発事故の衝撃を受け、中国中央政府は計画中の原発を認可することを一時停止し、2012年中に再開したが、内陸部の原発が除外された。内陸部原発プロジェクトの認可が延期される原因はなんであろうか?
上記の3つの問題を答えるには、中国原子力発電事業における「核」と「電」という二つの集団に着目せねばならない。現在を理解するには歴史を知らねばならない。「核」「電」二大集団は政府、軍需工業と深く関わり、中国原子力発電事業の草創期から争ってきた。両集団の間の争いと中央政府からの干渉が、中国原子力発電事業を現在のような混乱な状況に導いたと考えられる。この発表は「核」「電」両集団をめぐって、中国原子力発電事業の歴史に辿りながら、上記の3つの問題を解答するつもりである。「核」と「電」の争いの視点から、中国原子力発電事業の現状を解読したい。
2 日本の新エネルギー開発の社会史的研究―水素エネルギーを中心として
森田満希子(九州大学)
日本では1973年のオイルショックをきっかけに,「新エネルギー(サンシャイン)」計画が始まった.その中のひとつに「水素エネルギー」の開発がある.水素エネルギーの有効利用や,燃料電池の開発が始まった.しかし30年たった今でも「新エネルギー」の開発は,太陽光(熱)エネルギー以外あまり進んでいない.それは経済産業省とNEDOの産業技術の振興計画であり,「新エネルギー」に莫大な投資を行ったが,成功しなかった例が多い.そこで,この研究の時代区分としては,第1期「新エネルギー」の基礎・応用研究の時代(1973年~1992年),第2期 普及促進に重点を移した時代(1992年~2010年),第3期 再生可能エネルギー躍進の時代(2011年~)とした.
「新エネルギー」計画は,1980年代の石油価格安定で一旦行き詰まりを起こしたが,1992年リオの環境サミットをきっかけに,環境問題を意識した「再生可能なエネルギー」へと世界の方針は変わった.日本では1993年ニューサンシャイン法が成立した.エネルギーと環境問題の両立を図らなければ,新エネルギーの開発は難しい.1993年カナダのバラード・パワーシステムズ社が固体高分子形燃料電池(PEFC)の小型化に成功したため,燃料電池の一般への応用が期待された.しかし燃料電池の心臓部といえるセルに使う白金の量が多く,セル自体が高価になることや,乗用車にすると値段が高いこと(現時点で1台1億5000万円)などから燃料電池の発展は行き詰まりを迎えている.
日本の新エネルギー計画の失敗の原因は次の4点が考えられる.(1)経済産業省(旧通産省)を中心としての供給側のみの研究開発に終始したこと,(2)需要拡大政策を取らなかった政策の不備(補助金,免税,個人投資への配慮が無いなど),(3) 電力会社の送配電網の独占状態,(4) 燃料電池研究・開発の混迷である.この論文はエネルギーの歴史的背景を顧みながら,新エネルギー政策がどのように行われ,どのように進んでいったのかを検証する.
3 再生紙を使っても温暖化対策にならない?―シンプル化された議論空間における批判のあり方―
立石 裕二(関西学院大学)
再生紙が近年もっとも注目を集めたのは、2008年1月に発覚した「古紙偽装」問題である。このとき製紙メーカーは弁解の一つとして、「再生紙を使っても温暖化対策にならない」と主張した。バージンパルプの場合、木にもともと含まれる黒液という成分を燃料として使えるため、化石燃料由来のCO2排出量は少なくて済む。森林を伐採しても再び植林すれば、CO2の観点からは±ゼロである。だから無理に古紙を使う必要はないというわけだ。この主張は一見すると鋭い科学的な切り返しに見えるが、よく考えるとわからない点が出てくる。多様な環境問題の中でなぜ温暖化だけを取り上げているのか。古紙利用率を下げればCO2排出量が減るというのは事実か(環境省は反対の立場をとった)。分析結果に一定の根拠があるとして、それまでの間、再生紙が環境対策として異論なく受け入れられてきたのはなぜか。本報告では、これらの疑問を手がかりとしながら、地球温暖化問題をはじめとする今日の環境問題における議論空間の特徴を明らかにする。温暖化対策をめぐる議論は、双方がライフサイクルアセスメント(LCA)のような科学的推論の結果として出てきた数字を脱文脈的にぶつけ合う「空中戦」になりがちである(本報告では、Scott(1998)の概念を用いて「シンプル化された議論空間」と呼ぶ)。その中で、企業や行政が出してくる数字に対して異議申し立てをする余地をいかにして確保できるのか。本報告では、公開文書とインタビューを用いた知識社会学的分析を行った。分析の結果、温暖化対策をめぐる論議では科学知を使ったシンプル化(指標化)が避けられないこと、そのもとでの外部からの批判の回路としては、1)シンプル化された指標の情報公開・比較の徹底、2)LCAで捨象されがちなローカルな問題文脈の再導入という二つがあることなどを明らかにした。
18:30-20:30
懇親会(於・東京大学山上会館)
9月29日(日)
9:30-11:30
セッション4 治水・保全・生態系
司会:石井敦(東北大学)
1 自然環境保全をめぐるフレーミング間の相互作用―外来魚問題を事例に―
藤田研二郎(東京大学/日本学術振興会)
アクターによる問題のフレーミング(定義づけ)を分析することは,環境問題を対象とした社会科学の様々な領域で,研究アプローチの一つとして提起されている(環境社会学の構築主義,環境運動論,科学技術社会論等).本報告では,このフレーミングについての分析枠組を批判的に検討した上で,フレーミング間の相互作用を動態的に把握するための枠組を提起し,それを自然環境保全のあり方をめぐって争われた外来魚問題の事例研究に適用する.まず,先行研究の中では,フレーミングについて様々な分析がなされている一方で,その多くはフレーミングの類型論に終始してしまっている点に,一つの限界があると考えられる.本研究では,問題のプロセスを分析するにあたって,そのような静態的な類型論ばかりでなく,フレーミング間の動態的な相互作用を把握することを重要視し,アクターそれぞれの“問題とする範囲の線引き”について分析する枠組を提起する.とりわけ,歴史的事実の扱いをめぐる時間的な線引きと,利害関係者の扱いをめぐる空間的な線引きに注目し,そのような線引きの包含関係を比較することで,動態的な相互作用が分析できると想定している.
以上のような検討を踏まえて,外来魚問題を対象とした事例研究を行う.この問題は,生息分布が全国的に広がったオオクチバス等の外来生物について,その放流の禁止,駆除の方針をめぐって争われてきたものである.特に,漁連,市民団体,学会,釣り団体といった,関係するアクターの多様化が生じた1990年代後半以降の問題のプロセスについて,上述の分析枠組の有効性について検討する.その中では,それぞれの相互作用によって生じるフレーミングの変化について考察していく.
[主要参考文献]
佐藤仁,2002,「「問題」を切り取る視点――環境問題とフレーミングの政治学」石弘之編『環境学の技法』東京大学出版会,41-75.
2 八ッ場ダム問題における科学技術コミュニケーション
萩原優騎(生協総合研究所)
利根川水系・吾妻川流域では、八ッ場ダム開発問題をめぐって半世紀以上にわたる対立が続いてきた。その過程で、ダム問題への立場の違いから派閥の対立が生まれ、地域社会の分断につながった。紆余曲折を経てダム建設が決定して以降も、様々な対立が続いている。過疎や高齢化によって地域社会が衰退しつつある現状では、その再生を図ることは、ダムへの賛否にかかわらず地域住民の共通課題である。しかし、ダム問題に由来する対立が背景として存在するゆえに、地域社会を今後どのように運営していくかということについて、住民間の合意形成を図ることが非常に困難な状況にある。
以上のような歴史的背景及び現状に加えて、地域の合意形成を困難にしている要因がいくつかあると思われる。その一つが、ダム問題を中心とする諸課題をめぐる科学技術コミュニケーションが成功してきたとは言いがたいということである。ダム開発やその影響については、「難しいこと」だから決定を町や専門家に委ねるという住民も多い。そして、町や国土交通省の建設事務所から発信される情報や、その発信のされ方にも、地域住民の意思決定への参加を困難にする一因があった。また、ダム開発をめぐる研究者間の論争においても、各々の前提の差異が問題になり得る。それは、河川工学上の知見に限らず、河川管理をめぐる価値や思想の違いでもある。
このように専門家間で、また専門家と地域住民の間で、科学技術コミュニケーションをめぐる解決すべき課題が山積している。そして、それらの課題は必ずしも自覚されないまま、放置されてきたことも多かったというのが実態であろう。今回の発表では、そうした事柄の一端を紹介し、科学技術社会論の観点から当該地域が抱える問題の解決に寄与する可能性を示したい。
3 誰が環境保全を担うのか―長崎県諫早湾を事例として
開田奈穂美(東京大学)
本研究発表においては、長崎県諫早湾およびその周辺の有明海を事例として、海洋・河川および漁業環境の保全をめぐる地域の対立の様相を明らかにする。長崎県諫早湾においては、諫早湾干拓事業が周辺海域に与える影響が指摘されてきた。この事業については、周辺の漁業者を原告とした「よみがえれ!有明訴訟」の判決により、2013年中に排水門の常時開門が確定している。この常時開門によって予想される周辺海域の環境変化をめぐり、地元長崎県では否定的・肯定的な意見を含め様々な議論がなされている。本研究発表においては、関係する漁業者、行政関係者、科学者へのインタビュー等をもとにして、当該地域の漁場環境の「保全」が各アクターにとってどのようなことを意味するのかを分析するとともに、誰が環境保全を担うのか、あるいは誰が環境保全を担うことを認められるのかという問題について考察する。
12:45-14:45
セッション5 廃棄物処分の社会的文脈
司会:平田光司(総合研究大学院大学)
1 日本の新聞報道によるCCSの社会構築―フレーミングとテクノクラート言説の再生産
朝山慎一郎(東北大学)・石井敦 (東北大学)
近年,気候変動の緩和策として炭素回収貯留(CCS)技術が注目されている。CCSは,火力発電所などの大規模なCO2排出源からCO2を分離・回収し,地中あるいは海底下に貯留する技術である。2005年に発表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)のCCS特別報告書によって,CCSは緩和策の有力な選択肢として位置づけられるようになった。日本では1980年代末から官民協働で技術開発が積極的に推進されており,京都議定書締結以降は具体的な緩和策の1つとして政策協議されるようになってきた。しかし,CCSをめぐっては,CCSの有する大規模なCO2貯留ポテンシャルが注目される一方で,貯留サイトからのCO2の漏洩リスクやCCS実施に伴う化石燃料への依存度増大などの問題で論争がある。いまだ開発途上の技術であるCCSの公衆理解やガバナンス・政策決定のあり方は,緩和策としてCCSをどのように「フレーミング(Framing)」するのかに大きく依存する。本稿は,日本のマスメディア報道を事例に、CCSのフレーミングを言説分析の手法を用いて分析した。1990年~2010年の間の三大紙(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞)によるCCS報道のフレーミングを時系列変化と新聞間比較の2つの分析軸に沿って分析した。三大紙の報道では,三大紙に共通する支配的なフレームとして,<責任と有望性><テクノクラシー><化石燃料レジームとの両立>の3つが顕著に観察された。通時的には,三大紙の報道はこれらの支配的なフレームの強化を促すように変化していた。三大紙の報道では,CO2の貯留ポテンシャルや化石燃料に依拠した経済成長との整合性が強調され,官僚や経済界,研究機関が頻繁に引用されていた一方で,CO2の漏洩リスクや規制措置についてはほとんど言及されず,環境NGOや市民などのアクターもほとんど引用されていなかった。その意味で,日本の新聞報道は,テクノクラート主義的な日本のCCSガバナンスを補完する形で,CCSをフレーミングしていると指摘できる。
2 高レベル放射性廃棄物をめぐるコミュニケーション構造の分析-日本学術会議「回答」と原子力委員会「見解」
定松 淳(東京大学)
日本政府はこれまで、国内の原子力発電所から出る使用済核燃料を全量再処理(ウランとプルトニウムを回収)すること、またその結果に発生する「高レベル放射性廃棄物」を300m以深の地下に地層処分することを方針としてきた。2000年に「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が制定され「原子力発電環境整備機構」が設立されたものの、候補地選定に向けた調査実施地域も決まっていない状況である。このような状況を受けて、原子力委員会は2010年9月7日、日本学術会議に対して「高レベル放射性廃棄物の処分の取組における国民に対する説明や情報提供のあり方についての提言のとりまとめ」を依頼した。2011年の東日本大震災とその後の福島第一原発事故をへた2012年9月11日、日本学術会議の「回答」が発出された。「回答」は、「高レベル放射性廃棄物の処分に関する政策の抜本的見直し」を求め、「暫定保管および総量管理を柱とした政策枠組みの再構築」を提案するなど、大胆な内容であった。この回答の作成には国内の複数の社会学者も関与している。原子力委員会は同年12月18日、この回答に対する「見解」を発表したが、その内容についてマスメディアでは「従来の方針は変えず」といった報道も多く見られた。このような意見の対立・食い違いは、科学技術がかかわる社会問題において典型的なものである。この対立・食い違いを整理することで、科学技術がかかわる社会問題に社会科学がアプローチする際の、留意点を明確化することが本発表の目的である。そのうえで、できる限り具体的な改善策の提案を試みたい。
3 日本の高レベル放射性廃棄物処分政策に見る構造災の契機―社会的意思決定における知の積み重ねと価値判断の議論の欠落をめぐって
寿楽 浩太(東京電機大学)
日本における高レベル放射性廃棄物(HLW)の処分問題は2000年の最終処分法制定とNUMO(原子力発電環境整備機構)の設立、2002年のNUMOによる文献調査への公募開始以降、約10年強が経過した。HLW処分に関係してこの間に発生した目立った出来事と言えば、2006年から2007年にかけての高知県東洋町での公募への応募に向けた地域紛争状況の出現、そしてその他の複数の地方自治体における応募をめぐる葛藤であって、関係した地域社会に負担を強いたばかりであり、政策推進側が期待した「進展」は得られていない。
一方、2011年3月の福島原発事故をきっかけに原子力利用をめぐる社会的な論議が活発になった中、日本学術会議による問題提起と提言(日本学術会議2012)の発出もあって、HLW処分問題には改めて社会的な関心が集まっており、政府も先般、「総合資源エネルギー調査会」にこの問題を検討する小委員会を設置したところである。
この最近の状況を見ると、一見、従来の政策の失敗軌道が修正されつつあるようにも見受けられるかもしれない。しかし、本発表では、こうした経緯を「構造災」(松本2012)の発生の有無という観点から再検証し、むしろ構造災が再生産されている可能性が見いだされることを指摘する。具体的には、この経緯の中で、(1)必要な知が積み重ねないままに社会的意思決定が進められてきた可能性があり、これを防ぐ仕組みも作り込まれていない可能性が高いこと、(2)HLW処分問題は「無限責任」(松本2009)を有限化することが必要である点が際だっており、腑に落ちる社会的意思決定を行うためには、問題への対処の原則に関わる価値判断の議論が必要であるところ(寿楽2011)、それを十分意識して政策形成をしてきた形跡に乏しいこと、の2つの問題点を議論したい。
<参考文献>
日本学術会議(2012)「回答 高レベル放射性廃棄物の処分について(2012年9月)」
松本三和夫(2012)『構造災―科学技術社会に潜む危機』岩波新書
松本三和夫(2009)『テクノサイエンス・リスクと社会学―科学社会学の新たな展開』東京大学出版会
寿楽浩太(2011)「エネルギー施設立地の社会的意思決定プロセスを問う―公共性をめぐる科学技術社会学からのアプローチ」東京大学大学院学際情報学府博士学位論文
15:00-17:00
セッション6 稀少・難病・原因不明疾患における医学・社会・当事者
司会:山中浩司(大阪大学)
1 ポストゲノム時代の「難病」対策:「難治性疾患」と「希少疾患」の距離を測る
見上 公一(総合研究大学院大学)
日本における難病対策は昭和47年に厚生省が定めた『難病対策要綱』から始まったとされる。この要綱は原因不明の疾患として昭和30年代後半から社会的問題とされたスモンに対して研究班の設置と患者への支援を実施した経緯から策定に至っており、8疾患からスタートした研究事業はその後40年間で対象が大幅に拡大され、現在は130疾患が対象とされている。要綱では研究事業の対象となる疾患は原因不明であることと患者とその家族の負担が大きいことが主な条件とされていたが、1990年代後半からはその希少性についても考慮することとなり、現在の「難治性疾患」として再定義されたのは平成15年のことであった。だが、このような「難病」対策の流れは欧米において実施されている「希少疾患」のそれとは大きく異なるものである。「希少疾患」はその希少性から市場が小さく有効性の確認も難しいなどの理由から医薬品の開発に対して特別な対策を講じる必要があるという1980年代の議論がその根底にあり、患者団体の積極的な活動と連動することによってその概念が作り上げられてきたという経緯があり、その数は7000疾患を越えるとされている。このような2つの「難病」の理解は、概念として違いを生むだけではなく、そのような疾患を患う人々の生活にも大きな影響を与えていることは想像に難くない。本発表は、そのような歴史的な経緯を踏まえ、この2つの「難病」の距離について考察を加える。ゲノム科学の進展や難病に対する国際的試みが推進されている現状などによって、国内ではその擦り合わせについて議論が始まっているが、科学社会学の観点から分類の持つ政治性・社会性に注目しそのような課題の複雑さを紐解くことが目的である。
2 希少難病当事者における診断のプロセスと帰結
野島那津子(大阪大学)
1995年にブラウンが提唱した「診断の社会学」は、その後20年以上を経てジュテルによって再評価され(Jutel 2009; 2011)、専門誌で特集が組まれるなど近年注目を集めている。診断は、医療の中心的実践であるが、心身の不調に対して病名をつけるだけの素朴な営みではない。たとえば、症状に説明と一貫性を与え、患者に病人役割を取得する正統性を付与し、必要な資源や設備にアクセスする機会を提供し、医療の権威を形成・維持するなど、診断の持つ力は大きくその射程は広い。なかでも、その影響を直接かつ多大に受けるのが、患いの当事者である。なぜなら一般的に、心身の苦しみが公的に認められ、取り除かれる可能性を得るには、まずもって医師に診断されることが必要だからである。しかしながら、希少難病のような診断の難しい疾患を患う場合、当事者の訴えは棄却され、診断のつかない状態が長期化したり、不適切な診断名を付与されたりしかねない。この場合、当事者は症状だけでなく、適切に診断されないことにも苦しむことになる。本報告では、このような診断が難しい事態について、適切な診断が付与されるまでのプロセス、診断がもたらす帰結を中心に、診断の社会学の知見を用いて説明を試みる。診断の社会学では、体系的な議論は構築されていないものの、診断が難しい疾患について多くの事例から、診断の不在と疾患の社会的不在がパラレルであること、精神疾患の否定、適切な診断の好意的受容などの論点を指摘できる。これらの論点を整理・検討し、診断されにくい疾患を患う当事者の視点から、診断の持つ影響力や意味を照射したい。
3 稀少疾患当事者からみた医療と社会
山中浩司(大阪大学)・加賀俊裕(SORD, 稀少難病患者支援事務局)
2012年4月から大阪大学とSORD(NPO法人稀少難病患者支援事務局)は共同で稀少難病疾患当事者に対する聞き取り調査を行っています。この調査は、当事者の生活状況や抱える困難、また当事者からみた現在の医療、行政、社会(学校、職場、地域など)について幅広く意見や情報を収集するもので、これまで13名(2013年6月現在)の聞き取りを終え、今回は学会報告日までの暫定的なデータの分析を踏まえて、日本におけるこうした疾患を抱える当事者の現状について報告をしたいと考える。報告は特に、医療機関との関係、疾患に対する社会的受容(学校、職場など)、行政との関係、当事者同士の関係を主軸として、適宜こうした情報を欧米の状況、一般疾患との相違などを考慮して考察したい。その上で、患者役割の取得、医療化、医師患者関係など医療社会学における古典的な枠組みにおいてどのように位置づけることが可能か、また近年の医学研究者、国、製薬業界が稀少疾患に対して示す強い関心が、こうした問題にどのような影響を及ぼすのかを考えたい。これについては、患者支援団体事務局から、現在のそうした動きについて報告を行う。
17:10-19:10
セッション7 学術活動への自己言及
司会:松本三和夫(東京大学)
1 公的な研究費制度の政策転換に向けて
佐藤靖(科学技術振興機構)
近年、日本の公的な研究費制度は、投資総額の停滞、基盤的経費の削減、競争的資金の拡充等により、大きな構造的変化を経験してきた。また、特定の研究分野・領域への投資の充実、大型研究費制度の創設等により、国内の大学・公的研究機関等の研究開発資金の獲得戦略も大きく変化し、その経営及び研究現場もさまざまな影響を受けてきた。
こうした変化は、競争的環境の形成に貢献し、世界的な研究成果の創出事例をも生み出したが、その一方、有力大学等への競争的資金の偏り、若手研究者のキャリアパスの不安定化、研究時間の減少等の問題点をもたらしているといった指摘もある。また、競争的資金の費用対効果は十分か、我が国全体としての科学技術の裾野・多様性は維持されているか、審査・評価は適切になされているか、といった問題意識も提示されてきた。
最近では、研究費制度の改革をめぐる提言等も各方面から出され、政府レベルでも抜本的改革が重要な課題として浮上している。また、文部科学省科学技術政策研究所が科研費の有効性に対する定量的な検討を行う等の動きもある。こうした動きの背景としては、世界における日本の科学研究のパフォーマンスが顕著な停滞傾向を示していることに対する危機感がある。
本報告では、最近実施した大規模アンケートの結果等も踏まえつつ、今後求められる改革の方向性について、その実現に向けたハードル及び実現可能性の見通しも含め論じる。その際、政府の視点と研究現場の視点の双方を重視しその間の調整を図ることの重要性を強調する。
2 社会学の方法・引用文化の日米英比較
山本耕平(京都大学)・太郎丸博(京都大学)
本報告では、日本・アメリカ・イギリスの社会学の相違を、定量的な比較を通して検討する。他の分野に比べて、社会学の国際的な統合の度合いは低いと考えられている。しかし具体的にどのような相違があるのかについて、体系的な比較はまだない。本報告では、歴史研究や計量といった方法の相違と、専門家向けのメディアと一般向けのメディアのどちらをより多く参照するか(これを引用文化とよぶ)の相違に注目する。これらは、合意形成志向、すなわち専門家を説得し、専門家間で合意できる知識を作り出すことを志向する態度の、各国間での相違を反映するものと考えられる。仮説として、合意形成志向はアメリカにおいてもっとも強く、イギリス、日本の順に弱くなると考える。合意形成志向が強いほど、経験的研究の割合が高く、雑誌論文や学会発表への参照が多く、共同研究が発展しやすいと考えられる。そこで、日米英の主要なジャーナル各2誌について、2012年に掲載された論文およびそれらに類する記事をすべてサンプリングした。そして、それらの記事で用いられている方法を4つに、文献リストに挙げられている文献を4種類に分類し、著者数を数えた。このデータから、引用文献数と、引用文献中の雑誌論文および一般書籍の割合を比較した。そして、方法の種類、引用文献数、引用文献中の雑誌論文の割合、著者数をそれぞれ従属変数とし、他の変数を説明変数とする重回帰分析をおこなった。分析の結果、第一に、方法についてはアメリカが経験的研究、とくに計量への志向が強いことが分かった。第二に、引用文献の数および引用文献中の雑誌論文の割合は、ともに米英日の順で高いことが分かった。第三に、共著論文は米英では多いが日本では少ないことが分かった。以上から、イギリスの位置づけは明確ではないが、合意形成志向はアメリカの社会学でもっとも強く、日本でもっとも弱い、という相違は確認できる。
3 日本の高等教育における電子書籍アクセシビリティの課題―テキストデータの利用を中心に
松原洋子(立命館大学)
視覚障害や肢体不自由などの理由により、紙の本による読書が困難な人々(people with print disability)にとって、電子書籍は読書の可能性を高める技術である。本研究では高等教育機関に学ぶ障害学生の読書支援において、電子書籍を活用するための技術的・制度的課題を図書館の蔵書利用を中心に検討する。2013年6月の障害者差別解消法成立を受けて、高等教育機関の図書館は、障害学生の読書機会を保障するための「合理的配慮」が求められることになる。紙の書籍の文字情報をテキストデータ化することによって、合成音声変換、自動点訳、文字の加工が可能になり、アクセシビリティが向上する。すでに2010年の著作権法改正により、大学図書館でも視覚障害等をもつ学生に著作権者の許諾なく所蔵資料の電子複製・自動公衆送信をすることが可能になっているが、この種の支援はごく一部の大学にとどまり普及していない。本報告では読書支援としての書籍テキストデータ利用について、まず出版社や大学におけるこれまでの対応を概観する。そして2010年の著作権法改正と37条の運用、合成音声変換に対する同一性保持権からの疑義、視覚障害者による未校正テキストデータの利便性の主張、データ流出防止への技術的・制度的対応に関する論争等を検討し、大学図書館における書籍テキストデータ利用の意義と課題を明らかにする。
4 学術研究領域の形成過程分析: 「日本の看護学におけるレジリエンス研究」を素材として
諏訪敏幸(大阪大学)
研究活動が「学術」活動であるための条件は、既存の学術研究の伝統によってその主題と方法の正当性が認められることである。一般に文献引用のネットワークは論文(研究)間の「影響」関係の表現と解釈され、集合間の関係に注目する。しかしここではこれを研究伝統による正当性承認の主張と解釈し、一研究領域の自らへの関係性として文献引用を分析することにより、学術領域の生成・発展を捉え得ると考える。
本研究では方法論的検討も兼ねたケーススタディとして、「看護学分野におけるレジリエンス研究」を対象に、主に日本国内での発展を追跡した。「レジリエンス」は精神的困難から自ら回復する力とその過程を指し、1980年代に心理学分野で生まれた概念である。その後看護学でも患者・児童・患者家族・看護師などをめぐるレジリエンス研究が現れるようになった。領域選択の主な理由は、1) 比較的近年に現れたコンパクトな研究領域であること、2) 他領域や国外など外部領域からの流入経路が明確でありその後の発展においても過度に錯綜していないこと、3) 書誌データベースが整備され全容が把握し易いこと、4) 医学・看護分野は論文が構造化され分析しやすいこと、である。
この目的に沿って医学中央雑誌を検索した結果得られた文献604件から、予め定めた基準により71件を一次的対象として採択し、これに採択基準外・医中誌採録外の被引用文献396件中286件を加えてネットワーク的・量的・文献的に分析した。
通常、輸入概念を核とする研究領域では、解説・総説が先行し、その後に原著論文の増加へと進むことが多い。しかしこの領域の場合、2010年以降の急激な原著論文増加に対し2009年の解説特集が先行するものの、1990年代末以降ごく少数ながら連綿と原著論文が発表され、全体としては原著先行の様相を呈している。ここには心理学―保健学経由での流入経路が想定される。こうした特性も考慮しつつ、この領域が形成される過程を示したい。
19:50― 打ち上げ(参加自由・予定