科学社会学会第6回年次大会プログラム(案)
場所:東京大学本郷キャンパス法文1号館
日時:2017年7月1日(土)、2日(日)
地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_01_j.html
参加費:
会員の方 2000円 / 非会員の方 3000円
懇親会費 5000円
7月1日
9:30-11:30
セッション1:理論・学説
司会:伊藤美登里(大妻女子大学)
1-1 萩原優騎(東京海洋大学)
「ローカルとグローバルの関係の再検討―再帰的近代化論を参照して」
環境問題をめぐる研究では、グローバルな視点とローカルな視点の関係が問われてきた。例えば、欧米の環境倫理学は、その議論があらゆる場面に適用可能であることを前提とした「普遍主義」であるとされる。それに対して、そうした議論は実際には特定の時代の特定の地域の価値判断を前提にしているとの指摘がなされた。そのことから、ローカルな視点、すなわち、それぞれの地域の個別性を視野に入れた考察の重要性が唱えられるようになった。そこでは、地域における自然との関係、伝統との関係、人々の関係などに焦点が合わせられる。概して近代化が進む場面では、それらの関係が変容するが、その原因として科学技術の発達が大きな影響を及ぼしていることが多い。それゆえ、ローカルな視点に立脚した研究においても、科学技術のもたらす影響は無視しがたい。
一方、ローカルな次元で生じる問題であっても、それがグローバルな次元と連動していることもある。そうであるならば、ローカルとグローバルという二つの次元は必ずしも切り離せない。両者の関係を、どのように捉えればよいのだろうか。あるいは、この二つをどのように関連づければよいのだろうか。これらの問題を考えるための一つの手がかりが、社会学者のウルリッヒ・ベックによる考察であると思われる。ベックは「リスク社会」と「再帰的近代化」をキーワードに、グローバルな危機を強調してきた。その後、ベックは近代化の多様性に注目し、自身の議論を再検討した。そのような考察を参照して、グローバルな視点とローカルな視点の関係についての問いを捉え直すことによって、両者の関係をめぐる議論を深めることができるのではないか。
1-2 小松大祐(早稲田大学)
「プロジェクトマネジメントの視点を利用した科学社会学の理論」
本研究は松本(2016)による科学社会学の理論を、プロジェクトマネジメントの視点(以下、PMの視点)を利用して叙述するものである。松本(2016)のアイデアはPMの視点を利用することで、より単純化することが可能になるからである。
PMの視点とは、プロジェクトを、目的、要求事項、プロジェクト成果物、資源、資源の加工方法の5つの情報に分類する視点のことである。小松(2017)はPMの視点を図示することで、プロジェクトマネジメントの新たな表現方法を示すと共に、プロジェクトの全体像を視覚的に捉えるアイデアを提案した。
本研究は、小松(2017)が図示したPMの視点を利用して、松本(2016)による科学社会学の理論に異なる表現方法を与えるものである。松本(2016)が提案したSTS相互作用モデルを理解する上では、内部構造論、制度化論の理解が必要である。しかし、STS相互作用モデルの図には内部構造論、制度化論の内容は含まれていない。つまり、内部構造論、制度化論、STS相互作用モデルは内容として繋がりを持つのだが、その繋がりを見通す図は示されていないのである。この繋がりを、小松(2017)が提案した図を利用して描くのが本研究の目的である。
内部構造論、制度化論、STS相互作用モデルは、個人的プロジェクト・集団的プロジェクトから構成されている。PMの視点に立てば、個人的プロジェクトも集団的プロジェクトも、プロジェクトの観点から一元的に捉えられる。このPMの視点を小松(2017)が提案した図を利用して描くことで、松本(2016)の提案する内部構造論、制度化論、STS相互作用モデルの繋がりを図示することが可能になる。
1-3 馬渡 玲欧(東京大学)
「オートメーション・ユートピアの可能性と限界――H.マルクーゼのオートメーション言説をめぐって」
本報告では、マルクーゼのオートメーション言説を取り上げ、その同時代的意義と限界を検討する。
これまで『エロスと文明』(1955年)の議論の背景にオートメーション論の流行があったことは明示されてこなかった。例えば、同時期にリリー、ディボルト、ドラッカーらはオートメーションに関する著作を立て続けに刊行している。
なぜマルクーゼがオートメーションをくり返し取り上げたのか。それは彼の労働論と大きく関わる。同書でマルクーゼは「欲動の抑圧」に基づく労働を否定する。この「欲動の抑圧」は「支配の利益を守るために押しつけられた、ある特定の労働の社会組織」から生じ、「労働の社会組織」が人間存在を労働の「道具」(instrument)として扱うとマルクーゼは見なす。
マルクーゼは労働そのものを否定したわけではない。同書では「欲動の解放」に基づく労働であれば良い、という価値判断が示される。同書において、この「欲動の解放」に基づく労働は「完全なオートメーション」の実現によって達成されると考えられている。
オートメーションの特徴の一つは機械化との区別にあると先のリリーは考える。つまり、機械化では運転手が必要だったが、オートメーションではその制御すら不要となる。「機械が自分自身の動作を完全に制御する」のであり、人間はただ見張るだけになるとリリーは述べる。1970年の「自由の領域と必然の領域」でマルクーゼもこのオートメーションの監視業務に着目している。特に「監視者」「発明者」「実験者」の登場によって労働の形式が変容することに注目する。
しかし、マルクーゼの議論には、この監視等のいわば精神労働が果たして「欲動の解放に基づく労働」となり得るのかどうかについてや、リリーやディボルトが度々言及するオートメーション導入による失業の問題に触れていない点に課題がある。本報告ではこのマルクーゼの議論の限界や制約も検討したい。
1-4 岡本哲明 (東京大学)
「経済学と物理学におけるミクロとマクロ 」
経済学では、1970年代のルーカス批判を経て、近年では、ミクロ的基礎づけを持たないマクロな理論は、主流派には受け入れらないものとなっている。ここで、マクロな理論をミクロな理論から基礎づける際に重要な働きを担っているのが、1950年代に完成した一般均衡理論である。物理学においても、経済学と同様、比較的最近まで、ミクロな理論(力学や量子力学など)とミクロとマクロをつなぐ理論(統計力学)だけでマクロな理論(熱力学)が構築可能であるとみなされることが多かった。しかし、大野による「統計力学が熱力学を基礎づけるのではない。 熱力学との整合性こそが、統計力学を基礎づけるのである。」という主張等をきっかけとして、1990年代以降、Lieb-Yngvason、佐々、田崎、清水らによって、熱力学の公理論的な整備が進められ、これらの整備の結果、熱力学、統計力学の専門家の間では、それまでの統計力学が熱力学を基礎づけているという見方ではなく、熱力学が統計力学を基礎づけているという見方が正しいものとみなされるようになった。このように、物理学では、ミクロな理論とマクロな理論はそれぞれ単独で成立しうるものであるのに対し、ミクロとマクロをつなぐ理論は、ミクロな理論およびマクロな理論との整合性によって支えられる必要があるという見方が主流になりつつある。このことは、経済学においても、ミクロとマクロをつなぐ理論である一般均衡理論は、ミクロな理論だけでなく、単独で成り立ちうるマクロな理論(まだ存在していない理論)によっても支えられる必要があることを示唆している。本研究では、経済学と物理学における、ミクロな理論、マクロな理論、そしてミクロとマクロをつなぐ理論の関係を整理することで、経済学においても、物理学と同様、単独で成り立ちかつミクロとマクロをつなぐ理論を支えうるマクロな理論が必要なのかどうかを検証する。
13:30-15:30
セッション2:原子力再考
司会:吉岡斉(九州大学)
2-1 長崎 晋也(McMaster University)
「カナダ・オンタリオ州民の原子力エネルギー支持の背景」
原子力事業者によるカナダ人を対象とした世論調査[1]によれば、1年経過後でも東京電力福島第一原子力発電所事故に関するニュースをフォローした人は約70%、半数の人がカナダでも当該事故と同様な事故が起こりえると考えていることが指摘された。一方同じ調査で、原子力エネルギー利用を支持またはどちらかというと支持と回答したオンタリオ州民の割合は54%であった。このことは90%近くの州民が反対またはどちらかというと反対としたケベック州をはじめ、オンタリオ州を除く全州で反対意見が多数を占めたことと対照的であった。原子力エネルギー全般に関する世論調査はその後実施されていないが、発表者が接するカナダ人からの一般的印象と差異はない。そしてMcMaster大学(オンタリオ州)では原子力工学コースを目指す学生の割合は高い。
本研究の最終目標は、オンタリオ州民が他州民と異なり原子力エネルギーへの支持を示す背景について考察を行うことにある。今回の発表は、現時点で終了しているカナダ原子力産業界(5名)、McMaster大学の学生(原子力工学系学生、非原子力工学系学生、社会科学系学生(各5名))と原子力系教員(1名)、McMaster大学周辺、Darlington町、Kincardine町、Oakville町のカナダ市民権保有者(各2名)、ESLに通う移民1世とその子弟(5家族)、オンタリオ州エネルギー省とNWMOに勤務するFirst Nations出身者(各1名)、オンタリオ州外在住のカナダ市民権保有者(10名)への非構造化インタビュー結果(1回実施)に基づく結果を紹介する。ただし、年齢、性別、学歴・職歴、居住地、人種、文化的背景等の差によるバイアスについてはサンプリング数が少ないため今回は考察の対象外としている。
まだ結論には至っていないが、現時点では「事故・不祥事を起こしていない」事業者と規制当局への信頼、ならびに「オンタリオ発の世界レベルの科学技術」への誇り、が上層背景の一部を構成していることが示唆される。
[1] Innovative Research Group, Inc., “2012 Public Opinion Research, National Nuclear Attitude Survey”, (2012).
2-2 定松 淳(京都光華女子大学)
「原子力損害賠償体制の展開をめぐる公的議論の不在:2016-17」
東日本大震災の直後、「福島事故の収束・安定化」、「電力供給の安定化」、「持続可能性のある損害賠償スキームの構築」、「電力債市場の安定化」、「金融システムの安定化」という課題を解決すべく、経産省を中心として2011年9月12日原子力損害賠償支援機構(現・「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」。以下「機構」と略記)が設立された。そこでは水俣病補償におけるチッソ金融支援の仕組みが援用され、「東京電力を倒産させない代わりに損害賠償を払わせ続ける」という仕組みが構築された。そこでは、東京電力以外の8電力が「一般負担金」を機構に収めることで東京電力の賠償支払いを支え、東京電力は数十年かけてその費用を返済していくものとされた。しかし事故発生当初、「3~5兆円」と見通されていた損害賠償費用は、2016年年度末の政府試算では7.9兆円に増大し、このほか廃炉・汚染水対策と、除染・中間貯蔵を併せた事故費用総額は21.5兆円に達するとされるようになった。
そのように費用が膨らむ中、2016年後半、事故費用の負担の在り方が議論になりはじめた。そのなかで電力自由化で新規参入した電気事業者(いわゆる「新電力」)にも賠償の一部を負担させる案が登場し、年内に決着してしまった。その負担額は大きいものではないが、電力自由化の理念をゆがめるもののように思われる。この決定は非公開の資源エネルギー庁「東京電力改革・1F問題委員会」でなされ、年末年始のパブリックコメント(1412件)もほとんど影響を与えることはなかった。そして、その決定も実は与党自民党の「原子力政策・需給問題等調査会」での結論を追認したものであることが、新年度以降報道され始めている。
本報告では、このような最新の重要な社会的選択の局面を分析することで、現代日本における科学技術コミュニケーションのあり方、公共圏・公的議論のあり方について、見取り図を与えることを試みたい。
2-3 寿楽 浩太(東京電機大学)
菅原 慎悦(電力中央研究所社会経済研究所)
「『リアルタイム被害予測システム』の社会的逆機能の批判的検証:SPEEDI事例における論争状況の概観と初期的分析」
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の活用のあり方は、2011年の福島原発事故とその後の原子力をめぐる議論における主要な論点のひとつとなってきた。事故直後はその計算結果の情報公開が問題になったほか、「政府事故調」と「国会事故調」がそれぞれの報告書において事故当時のSPEEDIの活用の当否についてほとんど正反対の評価を示したことも注目を集めた。
その後もSPEEDIをめぐる論争は継続し、2016年3月には主要な政府機関(原子力関係閣僚会議と原子力規制委員会)が今後の原子力防災におけるSPEEDIの活用のあり方についてまたも全く異なる見解を示している。すなわち、原子力関係閣僚会議はSPEEDI等の被害予測システムを関係自治体が自らの責任で事故時の緊急時対応に活用することを国は「妨げない」としたのに対し、原子力規制委員会はそれを禁じることを決定している。
また、科学技術社会学の先行研究においては、緊急時のSPEEDIの具体的な活用を定める国の関係法令やガイドライン等の体系が、緊急時に住民保護のために活用することを明示していないことが、担当者の不作為を構造的に許容していたことも指摘されている(松本2013)。
本研究は、こうした論争状況の背後にある、SPEEDIに代表される「リアルタイム被害予測システム」に対する社会的・技術的期待と実態のギャップの問題や、そのことと制度設計・運用における専門知の活用における問題の相互作用に切り込む。そして、これらの問題を等閑視したまま引き続き制度の設計と運用がなされることにより公益を毀損する状況が継続する、「構造災」のメカニズムを批判的に検証し、対処の方途を探る。今回の報告では昨年度実施した初期的な質的調査で得られた知見をもとに、論争の見取り図を概観し、本来公論に付されるべき核心的論点を整理する。
16:00-18:00
セッション3:科学と社会の複雑な界面―光と影―
司会:馬場靖憲(東京大学)
3-1 菊地宏樹(東京大学)
「異質性と偶発性がもたらすイノベーション-東海道新幹線開発を事例として-」
本報告においては、日本の東海道新幹線の開発過程を追跡することにより、異質的なアクター間の相互作用が偶発的に生じることによりイノベーションが発生することを示す。
新幹線は日本を代表するイノベーションであり、最大の特徴はその速度にある。かつては最高速度210km/h、現在では区間によっては320km/hで運行しており、営業用路線では世界タイ記録である。しかし、現在でこそ速度が大きな特徴となっている新幹線であるが、その源流としての東海道新幹線の開発は、最初から「世界で指折りの高速鉄道」を建設することが目的ではなかった。新幹線の建設がなされた昭和30年代は経済白書で「もはや戦後ではない」とされ、敗戦後の不況から朝鮮戦争を契機とした特需により回復し、日本経済が復興してきていた時期であった。この中で東京-神戸を結ぶ東海道線の沿線人口・工業生産額が全国に占める割合が高まり、輸送の需要の増加から、東海道線の輸送力を増強する必要が出てきた。この東海道線の輸送力増強問題が東海道新幹線開発のそもそもの発端である。ここに、広軌新線を実現しようとする十河信二国鉄総裁、戦後の公職追放により職を失い、鉄道技術研究所に流れ着いた旧陸海軍の技術者ら、研究所創立50周年の年にたまたま所長として赴任してきた篠原武司氏といった様々なファクターが結合し、日本が世界に誇る新幹線が誕生することとなった。本報告においては、まず東海道新幹線開発の詳細な事例研究を紹介したうえで、「技術の社会的構成(Social Construction of Technology: SCOT)」な視点と経営組織論的な視点から事例の分析を行う。前者の視点からは、異質なアクターがイノベーションの生起に寄与したことを示し、後者の視点からは偶発性が問題解決をもたらしたということを示す。
3-2 五島綾子(元静岡県立大学教授)
「サイエンスをめぐるエポックメーキングチェンジの実像」
17世紀,F.Baconは“社会はサイエンスに対して実用的な問いに答えを提供し経済を刺激する期待をもつ”という科学と技術のユートピアを論じたが,20世紀にはサイエンスの発見から産業界による応用に向かうリニアモデルが展開していった。
しかし1980年代に入ると,このようなモダンの時代のサイエンス,テクノロジー,社会の関係性が大きく変化し,ポストモダンの時代に転換していったと言われる。この現象を,サイエンスをめぐるエポックメーキングチェンジ(Epoch-Making Change, EPC)と呼ぶが,研究例は少なく,批判もある。本研究の目的はこのEPCの実像を探ることにある。
EPCを支持する代表的な言説としてFormanテーゼ,Gibbonsらのモード2,Nordmannのテクノサイエンスレジームなどを取り上げ,サイエンスをめぐるEPCの全体像を捉える。このEPCを引き起こした主な社会的要因としては,①情報科学の普及により変化した知識伝達,②環境問題の深刻化による問題解決型サイエンスへの高まる期待,③グローバリゼーションを伴う新自由主義の影響が挙げられ,これらがサイエンスをめぐるEPCと絡み合っている様相を考察する。
中でも①目標指向型産官学連携のもとでサイエンスとテクノロジーのボーダレス化の傾向,②サイエンスの商業化によるアカデミアの研究の変化に注目して論じる。
EPCをさらに具体的に考察するために,その言説に登場するナノテクノロジーのブームとその後の展開事例およびモード2のキーワードであるトランスディシプリナリーの取り組みの普及事例について考察する。ナノブーム後もナノマテリアルの研究開発は着実に展開しているが,同時にナノ毒性学の研究も進行し,後者の研究結果の深刻さがナノテクノロジーの展開に複雑さを増している。その一方でWHOなどによるトランスディシプリナリーな研究形態によって革新的な環境疫学の成果が期待されている。
3-3 芝崎美世子(大阪市立大学)
「『証明』をめぐる法と科学における社会的位相-活断層訴訟と冤罪事件に見る立証責任と科学の誤謬-」
科学者の中には、医療訴訟、環境訴訟、刑事訴訟などにおいて、その立場から、意見書等の提出あるいは科学者証人として、法廷での証言を求められる者も多い。一般的に、裁判官や弁護士等の法律家は、科学の専門知識を持っていないが、交通事故や医療訴訟、刑事訴訟における科学鑑定など、多くの裁判において、科学は、判決を左右する証拠として扱われている。しかし、日本においては、現実的に、法廷での科学的な証拠を取り扱うためのルールが確立しているわけではなく、法科学研究会などの数少ない機会を除けば、科学者と法律家とのネットワークも存在していない。
また、環境訴訟や原発訴訟などの行政訴訟では、すでに起きている被害だけではなく、将来に予測される被害、事故予見性に関わる問題がしばしば争点となる。こうした訴訟では、現時点で発生したものではなく、将来に予測される事故リスク、災害リスクや環境リスクなどの問題について議論がなされるが、実際に発生した被害ではないため、科学的な検証がますます複雑になり、原告側の立証が難しくなる等の問題が起きている。
本発表では、安威川ダム訴訟など活断層リスクが争点となる行政訴訟や、あるいは東住吉事件などの冤罪事件、他の無罪事件などの事例を通じて、法と科学における「証明」の問題を取り扱う。また、これらを通じて、法律家と科学者にみる「ストーリー」の違い、法的な「立証責任」と科学における証明、さらに科学的証明におけるレッド・へリングや循環論法などの「誤謬」のパターンを紹介して、法と科学における社会的位相について考察する。
3-4 標葉隆馬(成城大学)
「『研究評価』再考」
日本では、1990年代半ばの科学技術基本法成立および第一期科学技術基本計画策定以降、複数の競争的資金制度が併存するマルチファンディング構造の強化が進んでいる。このマルチファンディング構造の強化は、国立大学への運営費交付金のような機関単位で経常的に配分される一般大学資金の減少の一方で、プロジェクトファンドまたは直接政府資金と呼ばれる競争的資金の占める割合の増大という形としてたち現れている。
この研究活動を巡る政策的基盤の変化と共に、研究評価の対象が学術的価値に加えて社会的・経済的・文化的なインパクトまでを含むものに拡大すると共に、研究活動に関わる個人・大学・プロジェクト・プログラム・政策と様々なレベルへの評価が複層的に行われる新たな評価システムの模索が行われている。この動向自体は、様々な課題を抱えつつも、各国・各分野においてその向き合い方が議論される状況が生じている。
本発表では、とりわけ近年議論が進みつつあるインパクトをめぐる理解と取り扱いの議論、ノルウェーモデルのような分野毎の判断による出版物のポイント評価、「生産的相互作用」の積極的評価のあり方など、人文・社会科学分野の知見や在り様とも直結する論点に注目しつつ、各国における研究評価システムの現状を俯瞰しつつ、今後日本における研究評価システムにおける論点と課題の素描を試みる。インパクトの議論にせよ、生産的相互作用をめぐる議論にせよ、学術が今後の社会の中でどのような役割と責任を果たすことを想像するのか、またその想像をどのように社会に共有していくのかが本質的に問われて事柄であると言える。
7月2日
10:00-12:00
セッション4:医療社会学
司会:見上公一(東京大学)
4-1 山中浩司(大阪大学)
「病と障害の社会的表象と科学—表象の社会的循環をめぐって—」
病や障害についての「医学モデル(Laing 1971)」「社会モデル(UPIAS 1975)」「生活モデル(Gitterman & Germain 1976)」「生物心理社会モデル(Engel 1977)」といった表現が噴出したのは1970年代のオーソドックスな医学の周辺部においてであるが、いずれも既存の確立した医療と医学の権威への抵抗や反発という側面をもっている。このために、病や障害の「医学モデル」と言えば、確立された科学的表象であるかのような印象を受ける。しかし、歴史的に見るならば、純粋に医学的ないし科学的に構築された病や障害の表象に出会うことはきわめてまれであり、多くの病気や障害は、社会的な表象と医学的な表象が混合しており、しばしばモデルは循環している。Phil Brownらは、社会的診断という概念を用いて、医学的診断がいかに社会的状況と相互作用を起こすかに注目して、その事例として肥満を取り上げている。
本報告では、1990年代以降の「肥満エピデミック」をめぐる論争の中で、「肥満」という「病」の社会的表象が上記のモデルの間を往復しながらいかにして多くの関係者をそのループの中に巻き込んでいくのかを示したい。そうすることで、モデルの転換、代替、補完といった活動が病や障害の社会的表象をめぐるポリティカルゲームを構成することを理解し、そうした文脈においてそれぞれのモデルがもつ政治的意味を明らかにできると考える。
4-2 篠宮紗和子(なし・東京大学大学院人文社会系研究科社会学研究室修士課程卒業生)
「生物医学モデルと障害モデルの並存について―日本における発達 障害対策を事例に」
本報告では、「障害モデル」という病の新たな捉え方が、従来までの生物医学モデルを中心とした病の捉え方に対して与えた影響について論じる。
障害モデル(障害の社会モデルやWHO作成のICIDH・ICF)は、近代医学の中心パラダイムである生物医学モデルの代替モデルである。生物医学モデルは病を患者の身体に生じた生物学的変異であると捉え、それを正常な状態へと正す(治療する)ことを目的とする。それに対して障害モデルでは、病を社会的困難Handicapがある状態として捉えるため、患者の身体に生物学的病因があるとは仮定せず、当事者のQOL向上を目的とする。
障害モデルの考え方は、現代医療のあり方にとって無視できない影響力を持ち初めている。例えば 発達障害は、医学理論上では脳に病因を持つ生物医学的疾患であるとされている一方で、実際には病因が特定されていないために、臨床や教育、福祉では、障害モデルに基づいた理論構築がなされており、行政の場でも障害モデルが生物医学モデルと並存する形で取り入れられている。そしてまた、日本における発達障害対策自体が、「特別な教育的ニーズ」という障害モデルに基づいた概念を教育・福祉へと導入することによって初めて開始されたという経緯がある。
これまでの医療社会学では、生物医療化、製薬化といったように、生物医学モデルの浸透とそのさらなる加速についての理論構築は行われてきたものの、生物医学モデルの衰退とそれに伴う障害モデル(及びその他の代替モデル)の台頭、およびそれらの関係については研究が手薄であった。しかし、確かに現代では生物医学の技術的発展が進んでいるものの、一方でそれと同時に生物医学モデルの代替モデルも影響力を増しつつある。今後の医療社会学では、このような一面についても知見を蓄積する必要がある。
4-3 野島那津子(日本学術振興会)
「『論争中の病』の社会的表象の形成過程に関する一考察」
「論争中の病(contested illnesses)」とは、さまざまな症状があるにもかかわらず、検査で異常が認められないため、患者と医師または医師同士で論争が生じる病をいう。主なものに、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)、線維筋痛症(FM)、過敏性腸症候群(IBS)、化学物質過敏症(CS)がある。こうした病は、医師や家族を含む患者の周囲の人々から「精神的なもの」「性格の問題」「やる気がない」などと捉えられる傾向にある。病の実態とは必ずしもそぐわないにもかかわらず、こうした病気イメージは一定程度社会に流通している。S. ソンタグ(1978=1982)による隠喩としての癌の構造の考察から明らかなように、病気は一般にそのイメージを通して認識・理解されるが、上述のイメージは、臨床や生活のさまざまな場面で患者の訴えが安易に棄却されたり、病いに対する無理解が生じたりするなど、患者の困難を軽視あるいは不可視化する要因となっているように思われる。
本報告では、「論争中の病」の病気イメージの形成過程を明らかにする一環として、テレビ番組でそうした病がどのように伝えられてきたかについて考察を行う。具体的には、2016年度第3回NHK番組アーカイブス学術利用トライアルで閲覧した「論争中の病」に関する番組のうち、ME/CFSとFMを取り上げた番組データを中心に検討するとともに、そうした病をめぐる社会的出来事とも照らし合わせながら、「論争中の病」の社会的表象の形成過程を考察する。それによって、詳細が不明の死に至らない病に与えられる社会的意味とその変遷だけでなく、こうした病がどのようなモデルないしフレームによって認識・理解されてきたかについても、経時的変化を踏まえながら示唆を得ることを目指す。
4-4 佐藤 雅浩(埼玉大学)
「ヒステリーと神経衰弱概念の普及に医療専門家が果たした役割について」
本報告では、特定の病気に関する概念が広く社会に知られる過程において、医療の専門家が果たしうる役割について、近代日本における「ヒステリー」と「神経衰弱」という概念を事例として検討する。ヒステリーと神経衰弱は、19世紀後半から20世紀前半にかけて、当時の神経学的な医学観および身体観に基づき、各種の心身不調を説明する医学的・大衆的概念として世界中に普及した。しかし従来のヒステリーと神経衰弱に関する歴史研究は、両概念に対するジェンダー論的な分析や医学史的な記述が中心であり、これらの概念が広く社会に知られるようになる過程において医療専門家が果たした役割、あるいはそうした専門家らの役割を規定した諸要因について、詳細な検討を行ってこなかった。そこで本報告では、19世紀末から20世紀初頭の医学雑誌や新聞報道の分析から、(1)上記の疾病概念が社会に知られていく際に、どのような知識が如何なる過程で広く一般に普及したのか、(2)その過程では、どのようなタイプの医療専門家が知識の担い手として関与していたのか、(3)そうした専門家の関与の仕方を規定していた要因は何か、以上3点の問いについて、両概念の普及過程を比較しつつ考察する。その結果、近代日本においては、(a)ヒステリーという概念が19世紀末から事件報道等を通じて漸次的に世間に知られていったのに対し、神経衰弱概念は、20世紀初頭に特定の医療専門家らによるマスメディアでの積極的な情報提供によって普及したと考えられること、(b)ヒステリーは大学等の研究機関に所属する医学者が中心となって知識を提供していたのに対し、神経衰弱は市井の開業医による紹介が中心であったこと、(c)以上のような相違をもたらした要因としては、両概念と伝統的な疾病概念との関係性や、病因論の差異、想定された患者層の違いなどが考えられることを論じる。
13:30-15:30
セッション5:アクターネットワーク理論の検討
司会:三上剛史(追手門学院大学)
5-1 金信行(東京大学大学院学際情報学府)
「Bruno LatourとGabriel Tarde:アクター・ネットワーク理論を社会学方法論として捉え直すための一考察」
アクター・ネットワーク理論(Actor-Network Theory: ANT)なるものが1980年代から登場して以降、ANTは一部の社会学に留まらない人文・社会科学へ影響を与えてきた。ANTとは、フランスの科学論者であるBruno LatourとMichel Callonにより提唱された理論である。その主たる理論的特徴としては、①あらゆる事物は人やモノなどの異種混淆のアクターの関与で成立するネットワークであること、②あらゆる事物は、ネットワーク構築者が他のアクターの目的を自らの目的に沿うように翻訳していく、過程でありその結果であることが挙げられる。自然/社会という二項対立的実在を自明視しないANT及びLatourの議論は、非人間であるモノや人工物と人間の非対称的な関係を再考する「ポスト・ヒューマン」と形容される議論において理論的支柱の一つとして重要視され、経験的にその真偽性を検証する社会科学理論として用いられてきた。しかし、とりわけ近年のLatourが既存の社会学が拠って立つ説明図式に代わる代替案としてANTを位置づけていることを鑑みれば、ANTを単なる社会科学理論ではなく新たな社会学方法論として捉え直す必要がある。
本報告者は修士課程の研究において、ANTを社会科学理論ではなく社会学方法論として再構成する、理論・学説史的研究を行う予定である。予定している作業は次の四つである。まず、①1970年代後半から1990年代までの科学論の文脈におけるANTの位置取りを整理し、②ANTの理論的発展を担ったLatourが既存の社会学を意識して行った議論を整理する学説史的検討を行う。そして、③ANTと既存の社会学との対立点をGabriel TardeとÉmile Durkheimの間で繰り広げられた社会学方法論争に求めることで、ANTをTardeの社会学方法論の延長として彫刻し、④社会唯名論的な社会学方法論の可能性を模索する理論的検討を行う。上記の作業を行うことで、ANTを社会学史のなかに位置づける糸口を模索したい。
本報告では、この修士論文の作業計画を踏まえて、とりわけ②と③の分析を主題として報告を行う予定である。
5-2 牛膓 政孝(慶應義塾大学)
「リスク社会論以後とアクターネットワーク理論—S. ラッシュのラトゥールの検討について-」
近年、社会学においてB. Latourのアクターネットワーク理論への関心が高まっている。関心の背景として、「人間」と「非人間」の区別を採用しないLatourの方法論が「社会的なもの(the social)」の再考に対して何らかの理論的利得があるのではないか、という期待がもたれていることを一例としてあげることができる。Latour自身も『Reassembling the Social.』(2005)で既存の社会学とは異なる概念道具によって説明しているが、いまだ可能性の域をでていない感があるように思われる。また、Latourの理論がもつ射程についても、いまだ議論がされつくしていない。
まずはLatourのアクターネットワーク理論の社会学への接続の足掛かりを探すことが求められているのではないだろうか。本報告は、J. Urry とともにアクターネットワーク理論から影響を受けているS. LashによるLatour論を題材とし、アクターネットワーク理論のもつ特徴を、U. Beckのリスク社会論が拓いた「不確実性」という地平において検討する。
Beckのリスク社会論は、社会がみずからつくりだしたリスクに直面したという社会形態学的なテーゼと「社会や人生や文化に関わるリスクや不確実性」(Beck 1986=1998:137)という個人化テーゼからなる。とりわけ後者の個人化についての議論は、人と人だけでなくモノを含んだ社会性を考察する必要性を高めているように思われる(例えば、Knorr Cetina 1997)。LashはBeckとLatourの理論のいくつかの共通点を挙げているだけでなく、リスク社会(論)以降の社会の編成について述べている。そのなかでLatourのアクターネットワーク理論が社会をどのように捉えることができるのか。また、Latourに対するLashの批判と受容の両面について検討することで、アクターネットワーク理論の社会学への認識利得とその限界について素描してみたいと考える。
【ここで言及した文献】
Beck. U., 1986, Risikogesellschaft, Suhrkamp (=1998, 東簾・伊藤美登里訳『危険社会』法政大学出版
局.)
Knorr Cetina, K, 1997, “Sociality with Objects”, Theory, Culture & Society, 14(4): 1-30.
Lash, S., 1999, Another Modernity Different Rationality, Blackwell Publishers.
――――, 2003, Reflexivity as Non-Linearity Theory, Culture & Society,20(2): 49-57.
Latour, B. 2005, Reassembling the Social, Oxford university press.
5-3 栗原 亘(早稲田大学)
「政治とモノ―B. Latourのアクター・ネットワーク理論とコスモポリティクスについて」
「社会」は、人間同士の諸関係はもちろんのこと、人間と人間以外のモノ(各種人工物から動植物にいたる諸々)、すなわち非・人間(nonhuman)との関係無しにも成り立たない。この人間と非・人間との関係という論点は、今日、多種多様な領域においてますます盛んに主題化されるようになっている。それは主に人間および人間集団に焦点を合わせてきた人文・社会科学の領域においても例外ではなく、様々なアプローチが確立・提唱されてきた。本報告が取り上げるのは、その中でもアクター・ネットワーク理論(actor-network-theory;以下、ANTと略記)と呼ばれる方法論的立場である。
ANTは、「脱・人間中心的アプローチ(non-anthropocentric approach)」と呼ばれるものの1つとされる。「脱・人間主義的アプローチ」とは、主に以下のような特徴を共有する、分野も方法も多種多様な試みを指す。すなわち、①人間だけではなく非・人間にも行為者性(agency)を認めるべきとし、②人間中心的観点(非・人間は人間からの働きかけに対して受動的な位置しか占めないと考えるような議論)と非・人間中心的観点(いわゆる技術ないし環境決定論など)の双方を回避し、③さらに、人文・社会科学の知見と自然科学の知見とを単に折衷するような方法もとらないようなものである。ANTは以上のような意味での「脱人間中心的アプローチ」の先駆けであり、これに関係する多くの議論において言及されている。
しかし、ANTは、頻繁に言及されてはいるものの、適切に理解されているとは言い難く、単なる一過性の流行りもの扱いされることすらある。本報告はこうした現状を踏まえた上で、その主唱者の1人であるB. Latourの議論に焦点を合わせ、ANTがいかなる射程と意義を持ったものであるかについて、特に彼が近年集中的に論じているコスモポリティクスの議論とANTがどのような関係にあるものなのかに焦点を合わせて考察する。そうすることで、ANTが、研究手法の1つであるだけでなく、科学技術ないし自然環境と政治といった形で論じられる諸主題に対して積極的な含意を持つものであることについて示す。
場所:東京大学本郷キャンパス法文1号館
日時:2017年7月1日(土)、2日(日)
地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_01_j.html
参加費:
会員の方 2000円 / 非会員の方 3000円
懇親会費 5000円
7月1日
9:30-11:30
セッション1:理論・学説
司会:伊藤美登里(大妻女子大学)
1-1 萩原優騎(東京海洋大学)
「ローカルとグローバルの関係の再検討―再帰的近代化論を参照して」
環境問題をめぐる研究では、グローバルな視点とローカルな視点の関係が問われてきた。例えば、欧米の環境倫理学は、その議論があらゆる場面に適用可能であることを前提とした「普遍主義」であるとされる。それに対して、そうした議論は実際には特定の時代の特定の地域の価値判断を前提にしているとの指摘がなされた。そのことから、ローカルな視点、すなわち、それぞれの地域の個別性を視野に入れた考察の重要性が唱えられるようになった。そこでは、地域における自然との関係、伝統との関係、人々の関係などに焦点が合わせられる。概して近代化が進む場面では、それらの関係が変容するが、その原因として科学技術の発達が大きな影響を及ぼしていることが多い。それゆえ、ローカルな視点に立脚した研究においても、科学技術のもたらす影響は無視しがたい。
一方、ローカルな次元で生じる問題であっても、それがグローバルな次元と連動していることもある。そうであるならば、ローカルとグローバルという二つの次元は必ずしも切り離せない。両者の関係を、どのように捉えればよいのだろうか。あるいは、この二つをどのように関連づければよいのだろうか。これらの問題を考えるための一つの手がかりが、社会学者のウルリッヒ・ベックによる考察であると思われる。ベックは「リスク社会」と「再帰的近代化」をキーワードに、グローバルな危機を強調してきた。その後、ベックは近代化の多様性に注目し、自身の議論を再検討した。そのような考察を参照して、グローバルな視点とローカルな視点の関係についての問いを捉え直すことによって、両者の関係をめぐる議論を深めることができるのではないか。
1-2 小松大祐(早稲田大学)
「プロジェクトマネジメントの視点を利用した科学社会学の理論」
本研究は松本(2016)による科学社会学の理論を、プロジェクトマネジメントの視点(以下、PMの視点)を利用して叙述するものである。松本(2016)のアイデアはPMの視点を利用することで、より単純化することが可能になるからである。
PMの視点とは、プロジェクトを、目的、要求事項、プロジェクト成果物、資源、資源の加工方法の5つの情報に分類する視点のことである。小松(2017)はPMの視点を図示することで、プロジェクトマネジメントの新たな表現方法を示すと共に、プロジェクトの全体像を視覚的に捉えるアイデアを提案した。
本研究は、小松(2017)が図示したPMの視点を利用して、松本(2016)による科学社会学の理論に異なる表現方法を与えるものである。松本(2016)が提案したSTS相互作用モデルを理解する上では、内部構造論、制度化論の理解が必要である。しかし、STS相互作用モデルの図には内部構造論、制度化論の内容は含まれていない。つまり、内部構造論、制度化論、STS相互作用モデルは内容として繋がりを持つのだが、その繋がりを見通す図は示されていないのである。この繋がりを、小松(2017)が提案した図を利用して描くのが本研究の目的である。
内部構造論、制度化論、STS相互作用モデルは、個人的プロジェクト・集団的プロジェクトから構成されている。PMの視点に立てば、個人的プロジェクトも集団的プロジェクトも、プロジェクトの観点から一元的に捉えられる。このPMの視点を小松(2017)が提案した図を利用して描くことで、松本(2016)の提案する内部構造論、制度化論、STS相互作用モデルの繋がりを図示することが可能になる。
1-3 馬渡 玲欧(東京大学)
「オートメーション・ユートピアの可能性と限界――H.マルクーゼのオートメーション言説をめぐって」
本報告では、マルクーゼのオートメーション言説を取り上げ、その同時代的意義と限界を検討する。
これまで『エロスと文明』(1955年)の議論の背景にオートメーション論の流行があったことは明示されてこなかった。例えば、同時期にリリー、ディボルト、ドラッカーらはオートメーションに関する著作を立て続けに刊行している。
なぜマルクーゼがオートメーションをくり返し取り上げたのか。それは彼の労働論と大きく関わる。同書でマルクーゼは「欲動の抑圧」に基づく労働を否定する。この「欲動の抑圧」は「支配の利益を守るために押しつけられた、ある特定の労働の社会組織」から生じ、「労働の社会組織」が人間存在を労働の「道具」(instrument)として扱うとマルクーゼは見なす。
マルクーゼは労働そのものを否定したわけではない。同書では「欲動の解放」に基づく労働であれば良い、という価値判断が示される。同書において、この「欲動の解放」に基づく労働は「完全なオートメーション」の実現によって達成されると考えられている。
オートメーションの特徴の一つは機械化との区別にあると先のリリーは考える。つまり、機械化では運転手が必要だったが、オートメーションではその制御すら不要となる。「機械が自分自身の動作を完全に制御する」のであり、人間はただ見張るだけになるとリリーは述べる。1970年の「自由の領域と必然の領域」でマルクーゼもこのオートメーションの監視業務に着目している。特に「監視者」「発明者」「実験者」の登場によって労働の形式が変容することに注目する。
しかし、マルクーゼの議論には、この監視等のいわば精神労働が果たして「欲動の解放に基づく労働」となり得るのかどうかについてや、リリーやディボルトが度々言及するオートメーション導入による失業の問題に触れていない点に課題がある。本報告ではこのマルクーゼの議論の限界や制約も検討したい。
1-4 岡本哲明 (東京大学)
「経済学と物理学におけるミクロとマクロ 」
経済学では、1970年代のルーカス批判を経て、近年では、ミクロ的基礎づけを持たないマクロな理論は、主流派には受け入れらないものとなっている。ここで、マクロな理論をミクロな理論から基礎づける際に重要な働きを担っているのが、1950年代に完成した一般均衡理論である。物理学においても、経済学と同様、比較的最近まで、ミクロな理論(力学や量子力学など)とミクロとマクロをつなぐ理論(統計力学)だけでマクロな理論(熱力学)が構築可能であるとみなされることが多かった。しかし、大野による「統計力学が熱力学を基礎づけるのではない。 熱力学との整合性こそが、統計力学を基礎づけるのである。」という主張等をきっかけとして、1990年代以降、Lieb-Yngvason、佐々、田崎、清水らによって、熱力学の公理論的な整備が進められ、これらの整備の結果、熱力学、統計力学の専門家の間では、それまでの統計力学が熱力学を基礎づけているという見方ではなく、熱力学が統計力学を基礎づけているという見方が正しいものとみなされるようになった。このように、物理学では、ミクロな理論とマクロな理論はそれぞれ単独で成立しうるものであるのに対し、ミクロとマクロをつなぐ理論は、ミクロな理論およびマクロな理論との整合性によって支えられる必要があるという見方が主流になりつつある。このことは、経済学においても、ミクロとマクロをつなぐ理論である一般均衡理論は、ミクロな理論だけでなく、単独で成り立ちうるマクロな理論(まだ存在していない理論)によっても支えられる必要があることを示唆している。本研究では、経済学と物理学における、ミクロな理論、マクロな理論、そしてミクロとマクロをつなぐ理論の関係を整理することで、経済学においても、物理学と同様、単独で成り立ちかつミクロとマクロをつなぐ理論を支えうるマクロな理論が必要なのかどうかを検証する。
13:30-15:30
セッション2:原子力再考
司会:吉岡斉(九州大学)
2-1 長崎 晋也(McMaster University)
「カナダ・オンタリオ州民の原子力エネルギー支持の背景」
原子力事業者によるカナダ人を対象とした世論調査[1]によれば、1年経過後でも東京電力福島第一原子力発電所事故に関するニュースをフォローした人は約70%、半数の人がカナダでも当該事故と同様な事故が起こりえると考えていることが指摘された。一方同じ調査で、原子力エネルギー利用を支持またはどちらかというと支持と回答したオンタリオ州民の割合は54%であった。このことは90%近くの州民が反対またはどちらかというと反対としたケベック州をはじめ、オンタリオ州を除く全州で反対意見が多数を占めたことと対照的であった。原子力エネルギー全般に関する世論調査はその後実施されていないが、発表者が接するカナダ人からの一般的印象と差異はない。そしてMcMaster大学(オンタリオ州)では原子力工学コースを目指す学生の割合は高い。
本研究の最終目標は、オンタリオ州民が他州民と異なり原子力エネルギーへの支持を示す背景について考察を行うことにある。今回の発表は、現時点で終了しているカナダ原子力産業界(5名)、McMaster大学の学生(原子力工学系学生、非原子力工学系学生、社会科学系学生(各5名))と原子力系教員(1名)、McMaster大学周辺、Darlington町、Kincardine町、Oakville町のカナダ市民権保有者(各2名)、ESLに通う移民1世とその子弟(5家族)、オンタリオ州エネルギー省とNWMOに勤務するFirst Nations出身者(各1名)、オンタリオ州外在住のカナダ市民権保有者(10名)への非構造化インタビュー結果(1回実施)に基づく結果を紹介する。ただし、年齢、性別、学歴・職歴、居住地、人種、文化的背景等の差によるバイアスについてはサンプリング数が少ないため今回は考察の対象外としている。
まだ結論には至っていないが、現時点では「事故・不祥事を起こしていない」事業者と規制当局への信頼、ならびに「オンタリオ発の世界レベルの科学技術」への誇り、が上層背景の一部を構成していることが示唆される。
[1] Innovative Research Group, Inc., “2012 Public Opinion Research, National Nuclear Attitude Survey”, (2012).
2-2 定松 淳(京都光華女子大学)
「原子力損害賠償体制の展開をめぐる公的議論の不在:2016-17」
東日本大震災の直後、「福島事故の収束・安定化」、「電力供給の安定化」、「持続可能性のある損害賠償スキームの構築」、「電力債市場の安定化」、「金融システムの安定化」という課題を解決すべく、経産省を中心として2011年9月12日原子力損害賠償支援機構(現・「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」。以下「機構」と略記)が設立された。そこでは水俣病補償におけるチッソ金融支援の仕組みが援用され、「東京電力を倒産させない代わりに損害賠償を払わせ続ける」という仕組みが構築された。そこでは、東京電力以外の8電力が「一般負担金」を機構に収めることで東京電力の賠償支払いを支え、東京電力は数十年かけてその費用を返済していくものとされた。しかし事故発生当初、「3~5兆円」と見通されていた損害賠償費用は、2016年年度末の政府試算では7.9兆円に増大し、このほか廃炉・汚染水対策と、除染・中間貯蔵を併せた事故費用総額は21.5兆円に達するとされるようになった。
そのように費用が膨らむ中、2016年後半、事故費用の負担の在り方が議論になりはじめた。そのなかで電力自由化で新規参入した電気事業者(いわゆる「新電力」)にも賠償の一部を負担させる案が登場し、年内に決着してしまった。その負担額は大きいものではないが、電力自由化の理念をゆがめるもののように思われる。この決定は非公開の資源エネルギー庁「東京電力改革・1F問題委員会」でなされ、年末年始のパブリックコメント(1412件)もほとんど影響を与えることはなかった。そして、その決定も実は与党自民党の「原子力政策・需給問題等調査会」での結論を追認したものであることが、新年度以降報道され始めている。
本報告では、このような最新の重要な社会的選択の局面を分析することで、現代日本における科学技術コミュニケーションのあり方、公共圏・公的議論のあり方について、見取り図を与えることを試みたい。
2-3 寿楽 浩太(東京電機大学)
菅原 慎悦(電力中央研究所社会経済研究所)
「『リアルタイム被害予測システム』の社会的逆機能の批判的検証:SPEEDI事例における論争状況の概観と初期的分析」
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の活用のあり方は、2011年の福島原発事故とその後の原子力をめぐる議論における主要な論点のひとつとなってきた。事故直後はその計算結果の情報公開が問題になったほか、「政府事故調」と「国会事故調」がそれぞれの報告書において事故当時のSPEEDIの活用の当否についてほとんど正反対の評価を示したことも注目を集めた。
その後もSPEEDIをめぐる論争は継続し、2016年3月には主要な政府機関(原子力関係閣僚会議と原子力規制委員会)が今後の原子力防災におけるSPEEDIの活用のあり方についてまたも全く異なる見解を示している。すなわち、原子力関係閣僚会議はSPEEDI等の被害予測システムを関係自治体が自らの責任で事故時の緊急時対応に活用することを国は「妨げない」としたのに対し、原子力規制委員会はそれを禁じることを決定している。
また、科学技術社会学の先行研究においては、緊急時のSPEEDIの具体的な活用を定める国の関係法令やガイドライン等の体系が、緊急時に住民保護のために活用することを明示していないことが、担当者の不作為を構造的に許容していたことも指摘されている(松本2013)。
本研究は、こうした論争状況の背後にある、SPEEDIに代表される「リアルタイム被害予測システム」に対する社会的・技術的期待と実態のギャップの問題や、そのことと制度設計・運用における専門知の活用における問題の相互作用に切り込む。そして、これらの問題を等閑視したまま引き続き制度の設計と運用がなされることにより公益を毀損する状況が継続する、「構造災」のメカニズムを批判的に検証し、対処の方途を探る。今回の報告では昨年度実施した初期的な質的調査で得られた知見をもとに、論争の見取り図を概観し、本来公論に付されるべき核心的論点を整理する。
16:00-18:00
セッション3:科学と社会の複雑な界面―光と影―
司会:馬場靖憲(東京大学)
3-1 菊地宏樹(東京大学)
「異質性と偶発性がもたらすイノベーション-東海道新幹線開発を事例として-」
本報告においては、日本の東海道新幹線の開発過程を追跡することにより、異質的なアクター間の相互作用が偶発的に生じることによりイノベーションが発生することを示す。
新幹線は日本を代表するイノベーションであり、最大の特徴はその速度にある。かつては最高速度210km/h、現在では区間によっては320km/hで運行しており、営業用路線では世界タイ記録である。しかし、現在でこそ速度が大きな特徴となっている新幹線であるが、その源流としての東海道新幹線の開発は、最初から「世界で指折りの高速鉄道」を建設することが目的ではなかった。新幹線の建設がなされた昭和30年代は経済白書で「もはや戦後ではない」とされ、敗戦後の不況から朝鮮戦争を契機とした特需により回復し、日本経済が復興してきていた時期であった。この中で東京-神戸を結ぶ東海道線の沿線人口・工業生産額が全国に占める割合が高まり、輸送の需要の増加から、東海道線の輸送力を増強する必要が出てきた。この東海道線の輸送力増強問題が東海道新幹線開発のそもそもの発端である。ここに、広軌新線を実現しようとする十河信二国鉄総裁、戦後の公職追放により職を失い、鉄道技術研究所に流れ着いた旧陸海軍の技術者ら、研究所創立50周年の年にたまたま所長として赴任してきた篠原武司氏といった様々なファクターが結合し、日本が世界に誇る新幹線が誕生することとなった。本報告においては、まず東海道新幹線開発の詳細な事例研究を紹介したうえで、「技術の社会的構成(Social Construction of Technology: SCOT)」な視点と経営組織論的な視点から事例の分析を行う。前者の視点からは、異質なアクターがイノベーションの生起に寄与したことを示し、後者の視点からは偶発性が問題解決をもたらしたということを示す。
3-2 五島綾子(元静岡県立大学教授)
「サイエンスをめぐるエポックメーキングチェンジの実像」
17世紀,F.Baconは“社会はサイエンスに対して実用的な問いに答えを提供し経済を刺激する期待をもつ”という科学と技術のユートピアを論じたが,20世紀にはサイエンスの発見から産業界による応用に向かうリニアモデルが展開していった。
しかし1980年代に入ると,このようなモダンの時代のサイエンス,テクノロジー,社会の関係性が大きく変化し,ポストモダンの時代に転換していったと言われる。この現象を,サイエンスをめぐるエポックメーキングチェンジ(Epoch-Making Change, EPC)と呼ぶが,研究例は少なく,批判もある。本研究の目的はこのEPCの実像を探ることにある。
EPCを支持する代表的な言説としてFormanテーゼ,Gibbonsらのモード2,Nordmannのテクノサイエンスレジームなどを取り上げ,サイエンスをめぐるEPCの全体像を捉える。このEPCを引き起こした主な社会的要因としては,①情報科学の普及により変化した知識伝達,②環境問題の深刻化による問題解決型サイエンスへの高まる期待,③グローバリゼーションを伴う新自由主義の影響が挙げられ,これらがサイエンスをめぐるEPCと絡み合っている様相を考察する。
中でも①目標指向型産官学連携のもとでサイエンスとテクノロジーのボーダレス化の傾向,②サイエンスの商業化によるアカデミアの研究の変化に注目して論じる。
EPCをさらに具体的に考察するために,その言説に登場するナノテクノロジーのブームとその後の展開事例およびモード2のキーワードであるトランスディシプリナリーの取り組みの普及事例について考察する。ナノブーム後もナノマテリアルの研究開発は着実に展開しているが,同時にナノ毒性学の研究も進行し,後者の研究結果の深刻さがナノテクノロジーの展開に複雑さを増している。その一方でWHOなどによるトランスディシプリナリーな研究形態によって革新的な環境疫学の成果が期待されている。
3-3 芝崎美世子(大阪市立大学)
「『証明』をめぐる法と科学における社会的位相-活断層訴訟と冤罪事件に見る立証責任と科学の誤謬-」
科学者の中には、医療訴訟、環境訴訟、刑事訴訟などにおいて、その立場から、意見書等の提出あるいは科学者証人として、法廷での証言を求められる者も多い。一般的に、裁判官や弁護士等の法律家は、科学の専門知識を持っていないが、交通事故や医療訴訟、刑事訴訟における科学鑑定など、多くの裁判において、科学は、判決を左右する証拠として扱われている。しかし、日本においては、現実的に、法廷での科学的な証拠を取り扱うためのルールが確立しているわけではなく、法科学研究会などの数少ない機会を除けば、科学者と法律家とのネットワークも存在していない。
また、環境訴訟や原発訴訟などの行政訴訟では、すでに起きている被害だけではなく、将来に予測される被害、事故予見性に関わる問題がしばしば争点となる。こうした訴訟では、現時点で発生したものではなく、将来に予測される事故リスク、災害リスクや環境リスクなどの問題について議論がなされるが、実際に発生した被害ではないため、科学的な検証がますます複雑になり、原告側の立証が難しくなる等の問題が起きている。
本発表では、安威川ダム訴訟など活断層リスクが争点となる行政訴訟や、あるいは東住吉事件などの冤罪事件、他の無罪事件などの事例を通じて、法と科学における「証明」の問題を取り扱う。また、これらを通じて、法律家と科学者にみる「ストーリー」の違い、法的な「立証責任」と科学における証明、さらに科学的証明におけるレッド・へリングや循環論法などの「誤謬」のパターンを紹介して、法と科学における社会的位相について考察する。
3-4 標葉隆馬(成城大学)
「『研究評価』再考」
日本では、1990年代半ばの科学技術基本法成立および第一期科学技術基本計画策定以降、複数の競争的資金制度が併存するマルチファンディング構造の強化が進んでいる。このマルチファンディング構造の強化は、国立大学への運営費交付金のような機関単位で経常的に配分される一般大学資金の減少の一方で、プロジェクトファンドまたは直接政府資金と呼ばれる競争的資金の占める割合の増大という形としてたち現れている。
この研究活動を巡る政策的基盤の変化と共に、研究評価の対象が学術的価値に加えて社会的・経済的・文化的なインパクトまでを含むものに拡大すると共に、研究活動に関わる個人・大学・プロジェクト・プログラム・政策と様々なレベルへの評価が複層的に行われる新たな評価システムの模索が行われている。この動向自体は、様々な課題を抱えつつも、各国・各分野においてその向き合い方が議論される状況が生じている。
本発表では、とりわけ近年議論が進みつつあるインパクトをめぐる理解と取り扱いの議論、ノルウェーモデルのような分野毎の判断による出版物のポイント評価、「生産的相互作用」の積極的評価のあり方など、人文・社会科学分野の知見や在り様とも直結する論点に注目しつつ、各国における研究評価システムの現状を俯瞰しつつ、今後日本における研究評価システムにおける論点と課題の素描を試みる。インパクトの議論にせよ、生産的相互作用をめぐる議論にせよ、学術が今後の社会の中でどのような役割と責任を果たすことを想像するのか、またその想像をどのように社会に共有していくのかが本質的に問われて事柄であると言える。
7月2日
10:00-12:00
セッション4:医療社会学
司会:見上公一(東京大学)
4-1 山中浩司(大阪大学)
「病と障害の社会的表象と科学—表象の社会的循環をめぐって—」
病や障害についての「医学モデル(Laing 1971)」「社会モデル(UPIAS 1975)」「生活モデル(Gitterman & Germain 1976)」「生物心理社会モデル(Engel 1977)」といった表現が噴出したのは1970年代のオーソドックスな医学の周辺部においてであるが、いずれも既存の確立した医療と医学の権威への抵抗や反発という側面をもっている。このために、病や障害の「医学モデル」と言えば、確立された科学的表象であるかのような印象を受ける。しかし、歴史的に見るならば、純粋に医学的ないし科学的に構築された病や障害の表象に出会うことはきわめてまれであり、多くの病気や障害は、社会的な表象と医学的な表象が混合しており、しばしばモデルは循環している。Phil Brownらは、社会的診断という概念を用いて、医学的診断がいかに社会的状況と相互作用を起こすかに注目して、その事例として肥満を取り上げている。
本報告では、1990年代以降の「肥満エピデミック」をめぐる論争の中で、「肥満」という「病」の社会的表象が上記のモデルの間を往復しながらいかにして多くの関係者をそのループの中に巻き込んでいくのかを示したい。そうすることで、モデルの転換、代替、補完といった活動が病や障害の社会的表象をめぐるポリティカルゲームを構成することを理解し、そうした文脈においてそれぞれのモデルがもつ政治的意味を明らかにできると考える。
4-2 篠宮紗和子(なし・東京大学大学院人文社会系研究科社会学研究室修士課程卒業生)
「生物医学モデルと障害モデルの並存について―日本における発達 障害対策を事例に」
本報告では、「障害モデル」という病の新たな捉え方が、従来までの生物医学モデルを中心とした病の捉え方に対して与えた影響について論じる。
障害モデル(障害の社会モデルやWHO作成のICIDH・ICF)は、近代医学の中心パラダイムである生物医学モデルの代替モデルである。生物医学モデルは病を患者の身体に生じた生物学的変異であると捉え、それを正常な状態へと正す(治療する)ことを目的とする。それに対して障害モデルでは、病を社会的困難Handicapがある状態として捉えるため、患者の身体に生物学的病因があるとは仮定せず、当事者のQOL向上を目的とする。
障害モデルの考え方は、現代医療のあり方にとって無視できない影響力を持ち初めている。例えば 発達障害は、医学理論上では脳に病因を持つ生物医学的疾患であるとされている一方で、実際には病因が特定されていないために、臨床や教育、福祉では、障害モデルに基づいた理論構築がなされており、行政の場でも障害モデルが生物医学モデルと並存する形で取り入れられている。そしてまた、日本における発達障害対策自体が、「特別な教育的ニーズ」という障害モデルに基づいた概念を教育・福祉へと導入することによって初めて開始されたという経緯がある。
これまでの医療社会学では、生物医療化、製薬化といったように、生物医学モデルの浸透とそのさらなる加速についての理論構築は行われてきたものの、生物医学モデルの衰退とそれに伴う障害モデル(及びその他の代替モデル)の台頭、およびそれらの関係については研究が手薄であった。しかし、確かに現代では生物医学の技術的発展が進んでいるものの、一方でそれと同時に生物医学モデルの代替モデルも影響力を増しつつある。今後の医療社会学では、このような一面についても知見を蓄積する必要がある。
4-3 野島那津子(日本学術振興会)
「『論争中の病』の社会的表象の形成過程に関する一考察」
「論争中の病(contested illnesses)」とは、さまざまな症状があるにもかかわらず、検査で異常が認められないため、患者と医師または医師同士で論争が生じる病をいう。主なものに、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)、線維筋痛症(FM)、過敏性腸症候群(IBS)、化学物質過敏症(CS)がある。こうした病は、医師や家族を含む患者の周囲の人々から「精神的なもの」「性格の問題」「やる気がない」などと捉えられる傾向にある。病の実態とは必ずしもそぐわないにもかかわらず、こうした病気イメージは一定程度社会に流通している。S. ソンタグ(1978=1982)による隠喩としての癌の構造の考察から明らかなように、病気は一般にそのイメージを通して認識・理解されるが、上述のイメージは、臨床や生活のさまざまな場面で患者の訴えが安易に棄却されたり、病いに対する無理解が生じたりするなど、患者の困難を軽視あるいは不可視化する要因となっているように思われる。
本報告では、「論争中の病」の病気イメージの形成過程を明らかにする一環として、テレビ番組でそうした病がどのように伝えられてきたかについて考察を行う。具体的には、2016年度第3回NHK番組アーカイブス学術利用トライアルで閲覧した「論争中の病」に関する番組のうち、ME/CFSとFMを取り上げた番組データを中心に検討するとともに、そうした病をめぐる社会的出来事とも照らし合わせながら、「論争中の病」の社会的表象の形成過程を考察する。それによって、詳細が不明の死に至らない病に与えられる社会的意味とその変遷だけでなく、こうした病がどのようなモデルないしフレームによって認識・理解されてきたかについても、経時的変化を踏まえながら示唆を得ることを目指す。
4-4 佐藤 雅浩(埼玉大学)
「ヒステリーと神経衰弱概念の普及に医療専門家が果たした役割について」
本報告では、特定の病気に関する概念が広く社会に知られる過程において、医療の専門家が果たしうる役割について、近代日本における「ヒステリー」と「神経衰弱」という概念を事例として検討する。ヒステリーと神経衰弱は、19世紀後半から20世紀前半にかけて、当時の神経学的な医学観および身体観に基づき、各種の心身不調を説明する医学的・大衆的概念として世界中に普及した。しかし従来のヒステリーと神経衰弱に関する歴史研究は、両概念に対するジェンダー論的な分析や医学史的な記述が中心であり、これらの概念が広く社会に知られるようになる過程において医療専門家が果たした役割、あるいはそうした専門家らの役割を規定した諸要因について、詳細な検討を行ってこなかった。そこで本報告では、19世紀末から20世紀初頭の医学雑誌や新聞報道の分析から、(1)上記の疾病概念が社会に知られていく際に、どのような知識が如何なる過程で広く一般に普及したのか、(2)その過程では、どのようなタイプの医療専門家が知識の担い手として関与していたのか、(3)そうした専門家の関与の仕方を規定していた要因は何か、以上3点の問いについて、両概念の普及過程を比較しつつ考察する。その結果、近代日本においては、(a)ヒステリーという概念が19世紀末から事件報道等を通じて漸次的に世間に知られていったのに対し、神経衰弱概念は、20世紀初頭に特定の医療専門家らによるマスメディアでの積極的な情報提供によって普及したと考えられること、(b)ヒステリーは大学等の研究機関に所属する医学者が中心となって知識を提供していたのに対し、神経衰弱は市井の開業医による紹介が中心であったこと、(c)以上のような相違をもたらした要因としては、両概念と伝統的な疾病概念との関係性や、病因論の差異、想定された患者層の違いなどが考えられることを論じる。
13:30-15:30
セッション5:アクターネットワーク理論の検討
司会:三上剛史(追手門学院大学)
5-1 金信行(東京大学大学院学際情報学府)
「Bruno LatourとGabriel Tarde:アクター・ネットワーク理論を社会学方法論として捉え直すための一考察」
アクター・ネットワーク理論(Actor-Network Theory: ANT)なるものが1980年代から登場して以降、ANTは一部の社会学に留まらない人文・社会科学へ影響を与えてきた。ANTとは、フランスの科学論者であるBruno LatourとMichel Callonにより提唱された理論である。その主たる理論的特徴としては、①あらゆる事物は人やモノなどの異種混淆のアクターの関与で成立するネットワークであること、②あらゆる事物は、ネットワーク構築者が他のアクターの目的を自らの目的に沿うように翻訳していく、過程でありその結果であることが挙げられる。自然/社会という二項対立的実在を自明視しないANT及びLatourの議論は、非人間であるモノや人工物と人間の非対称的な関係を再考する「ポスト・ヒューマン」と形容される議論において理論的支柱の一つとして重要視され、経験的にその真偽性を検証する社会科学理論として用いられてきた。しかし、とりわけ近年のLatourが既存の社会学が拠って立つ説明図式に代わる代替案としてANTを位置づけていることを鑑みれば、ANTを単なる社会科学理論ではなく新たな社会学方法論として捉え直す必要がある。
本報告者は修士課程の研究において、ANTを社会科学理論ではなく社会学方法論として再構成する、理論・学説史的研究を行う予定である。予定している作業は次の四つである。まず、①1970年代後半から1990年代までの科学論の文脈におけるANTの位置取りを整理し、②ANTの理論的発展を担ったLatourが既存の社会学を意識して行った議論を整理する学説史的検討を行う。そして、③ANTと既存の社会学との対立点をGabriel TardeとÉmile Durkheimの間で繰り広げられた社会学方法論争に求めることで、ANTをTardeの社会学方法論の延長として彫刻し、④社会唯名論的な社会学方法論の可能性を模索する理論的検討を行う。上記の作業を行うことで、ANTを社会学史のなかに位置づける糸口を模索したい。
本報告では、この修士論文の作業計画を踏まえて、とりわけ②と③の分析を主題として報告を行う予定である。
5-2 牛膓 政孝(慶應義塾大学)
「リスク社会論以後とアクターネットワーク理論—S. ラッシュのラトゥールの検討について-」
近年、社会学においてB. Latourのアクターネットワーク理論への関心が高まっている。関心の背景として、「人間」と「非人間」の区別を採用しないLatourの方法論が「社会的なもの(the social)」の再考に対して何らかの理論的利得があるのではないか、という期待がもたれていることを一例としてあげることができる。Latour自身も『Reassembling the Social.』(2005)で既存の社会学とは異なる概念道具によって説明しているが、いまだ可能性の域をでていない感があるように思われる。また、Latourの理論がもつ射程についても、いまだ議論がされつくしていない。
まずはLatourのアクターネットワーク理論の社会学への接続の足掛かりを探すことが求められているのではないだろうか。本報告は、J. Urry とともにアクターネットワーク理論から影響を受けているS. LashによるLatour論を題材とし、アクターネットワーク理論のもつ特徴を、U. Beckのリスク社会論が拓いた「不確実性」という地平において検討する。
Beckのリスク社会論は、社会がみずからつくりだしたリスクに直面したという社会形態学的なテーゼと「社会や人生や文化に関わるリスクや不確実性」(Beck 1986=1998:137)という個人化テーゼからなる。とりわけ後者の個人化についての議論は、人と人だけでなくモノを含んだ社会性を考察する必要性を高めているように思われる(例えば、Knorr Cetina 1997)。LashはBeckとLatourの理論のいくつかの共通点を挙げているだけでなく、リスク社会(論)以降の社会の編成について述べている。そのなかでLatourのアクターネットワーク理論が社会をどのように捉えることができるのか。また、Latourに対するLashの批判と受容の両面について検討することで、アクターネットワーク理論の社会学への認識利得とその限界について素描してみたいと考える。
【ここで言及した文献】
Beck. U., 1986, Risikogesellschaft, Suhrkamp (=1998, 東簾・伊藤美登里訳『危険社会』法政大学出版
局.)
Knorr Cetina, K, 1997, “Sociality with Objects”, Theory, Culture & Society, 14(4): 1-30.
Lash, S., 1999, Another Modernity Different Rationality, Blackwell Publishers.
――――, 2003, Reflexivity as Non-Linearity Theory, Culture & Society,20(2): 49-57.
Latour, B. 2005, Reassembling the Social, Oxford university press.
5-3 栗原 亘(早稲田大学)
「政治とモノ―B. Latourのアクター・ネットワーク理論とコスモポリティクスについて」
「社会」は、人間同士の諸関係はもちろんのこと、人間と人間以外のモノ(各種人工物から動植物にいたる諸々)、すなわち非・人間(nonhuman)との関係無しにも成り立たない。この人間と非・人間との関係という論点は、今日、多種多様な領域においてますます盛んに主題化されるようになっている。それは主に人間および人間集団に焦点を合わせてきた人文・社会科学の領域においても例外ではなく、様々なアプローチが確立・提唱されてきた。本報告が取り上げるのは、その中でもアクター・ネットワーク理論(actor-network-theory;以下、ANTと略記)と呼ばれる方法論的立場である。
ANTは、「脱・人間中心的アプローチ(non-anthropocentric approach)」と呼ばれるものの1つとされる。「脱・人間主義的アプローチ」とは、主に以下のような特徴を共有する、分野も方法も多種多様な試みを指す。すなわち、①人間だけではなく非・人間にも行為者性(agency)を認めるべきとし、②人間中心的観点(非・人間は人間からの働きかけに対して受動的な位置しか占めないと考えるような議論)と非・人間中心的観点(いわゆる技術ないし環境決定論など)の双方を回避し、③さらに、人文・社会科学の知見と自然科学の知見とを単に折衷するような方法もとらないようなものである。ANTは以上のような意味での「脱人間中心的アプローチ」の先駆けであり、これに関係する多くの議論において言及されている。
しかし、ANTは、頻繁に言及されてはいるものの、適切に理解されているとは言い難く、単なる一過性の流行りもの扱いされることすらある。本報告はこうした現状を踏まえた上で、その主唱者の1人であるB. Latourの議論に焦点を合わせ、ANTがいかなる射程と意義を持ったものであるかについて、特に彼が近年集中的に論じているコスモポリティクスの議論とANTがどのような関係にあるものなのかに焦点を合わせて考察する。そうすることで、ANTが、研究手法の1つであるだけでなく、科学技術ないし自然環境と政治といった形で論じられる諸主題に対して積極的な含意を持つものであることについて示す。